枯れ木に花を、いや、葉を繁らせましょう。 ― 2008/06/07
よく通る道に街路樹として銀杏の木が植えてある。
しかし、育ちすぎるのか落ち葉対策なのか、
枝がほとんど落とされていて、葉が枝の先ではなく、
ほとんど幹にへばりつくように生えている。
銀杏としてはもっとのびのび葉を茂らせたいのだが、
また落とされてはかなわん、という事なのだろうか。
あるいは枝先に何か薬品でも塗ってあるとか。
まさかこういう品種じゃないだろうな。
いずれにしても、
美しい街路樹のある並木道を目指しているつもりが、
なんだか、枯れ木にツタが絡まっているような
外観になっているのは、いかがなものだろう。
小学校の時に通用門の両脇に1本ずつ大きな銀杏の木があった。
それはかなり立派な木で、子供の目にはとてつもない大きさに見えたものだ。
年月が経ち大人になってから、その母校である小学校を訪れてみると、
かつて背の高さほどもあった門柱が腰ほどになり、何もかもが小さく感じられたのだが、
その銀杏の木だけは、あの頃感じた大きさのままなのである。
一瞬不思議な気がしたが、要するにその銀杏の木もまた、自分と同じように成長していたのである。
そう考えるとまた、別な感慨も浮かんできて、共に人生を歩んできたような気がするから妙なものだ。
夢があふれていた小学校時代に、毎日見上げたあの銀杏。
もちろん、私とは比べ物にならぬほどの年月を生きて来たであろう、あの銀杏も、
のびのび成長させてもらえ、満足しているのではないか。
私の人生が、あの街路樹の銀杏のように枝を落とされ、
ツタの絡まった枯れ木のようになっていない事を願っているが、どうだろう。
柄にもなく「深イイ話」みたいな事を書いてしまった。
赤面しているかもしれないが、モノクロだからバレなくてよかった。
しかし、育ちすぎるのか落ち葉対策なのか、
枝がほとんど落とされていて、葉が枝の先ではなく、
ほとんど幹にへばりつくように生えている。
銀杏としてはもっとのびのび葉を茂らせたいのだが、
また落とされてはかなわん、という事なのだろうか。
あるいは枝先に何か薬品でも塗ってあるとか。
まさかこういう品種じゃないだろうな。
いずれにしても、
美しい街路樹のある並木道を目指しているつもりが、
なんだか、枯れ木にツタが絡まっているような
外観になっているのは、いかがなものだろう。
小学校の時に通用門の両脇に1本ずつ大きな銀杏の木があった。
それはかなり立派な木で、子供の目にはとてつもない大きさに見えたものだ。
年月が経ち大人になってから、その母校である小学校を訪れてみると、
かつて背の高さほどもあった門柱が腰ほどになり、何もかもが小さく感じられたのだが、
その銀杏の木だけは、あの頃感じた大きさのままなのである。
一瞬不思議な気がしたが、要するにその銀杏の木もまた、自分と同じように成長していたのである。
そう考えるとまた、別な感慨も浮かんできて、共に人生を歩んできたような気がするから妙なものだ。
夢があふれていた小学校時代に、毎日見上げたあの銀杏。
もちろん、私とは比べ物にならぬほどの年月を生きて来たであろう、あの銀杏も、
のびのび成長させてもらえ、満足しているのではないか。
私の人生が、あの街路樹の銀杏のように枝を落とされ、
ツタの絡まった枯れ木のようになっていない事を願っているが、どうだろう。
柄にもなく「深イイ話」みたいな事を書いてしまった。
赤面しているかもしれないが、モノクロだからバレなくてよかった。
最近のコメント