スパゲティ収穫のネタはよくできていたと思う。2009/04/01

スパゲティ収穫のネタはよくできていたと思う。
気のきいたエイプリルフールのネタを
思いつかなかったので、
全然違う話をする。
 
普段はスタジオに張り付いて、
朝から夜にかけてほぼ連絡がつくのだが、
先週たまたま連絡がつかず、
取引先の会社の女史が携帯に電話してきた。
 
仕方がないので、
「WBCを観ていた」と適当なことを言うと、
「え〜〜!」と非難するような声の後、
「勝ちましたね」と、ぼそり。
どうやらワンセグで密かに観ていたらしい。
 
最近では仕事上の連絡はメールで行うことが多く、どうも味気ない。
かといって、電話でなら叩ける軽口も、メールでやると、かなりふざけたものになってしまう。
 
むろん昨今では誰しも業務上であれ、プライベートであれ、この二つを使い分けているだろう。
だが、どんな内容でもリアクションが瞬時にニュアンスまで含めて伝わる電話は、やはり捨てがたい。
 
今更な話だが、テキストでのやり取りは、些細なタイピングミスからでさえも誤解を招きかねない。
相手に真意が伝わらぬ時に、即座に正す事ができないのは、大きな難点である。
笑える誤変換もあれば、笑えないものもあり、また相手の教養まで読み取れてしまうこともある。
 
このブログもテキストである。私の教養レベルはとうの昔にバレている事だろう。
ブログとはそう言うものかもしれぬ。
また自らの身の丈以上のものを書こうとすれば、いきおい借り物の文章の羅列になってしまうに違いない。
 
などとぼんやり考えていたら、先ほどの女史から仕事の訂正依頼のメール。
箇条書きで訂正箇所を指示した後、こう書かれていた。
 
訂正お願いします(ファックも送ります)
 
なにー!送ってくれるのか?
 

いくら何でもこのタイトルイメージは無理があるか。2009/04/03

いくら何でもこのタイトルイメージは無理があるか。
記事としては話が前後するのだが、
先日の連休に毎年恒例となっている、
我が一族の温泉旅行に行った。
 
一族などというと、どこかの部族のようだな。
まあ、そう言えなくもない。
どこか浮世離れしたところもあるし。
 
連休のイベントとしてはかなりベタなのであるが、
さらに温泉卓球にカラオケ、トランプなど、
ベタな事を敢えてやると、
これが結構楽しめたりするのである。
 
ところで温泉というのは、
どうも透明な湯だと今イチ感じがでない。
やはり白濁しているか、泥水のように濁っていると、気分も盛り上がろうというものだ。
 
昔、白骨温泉で入浴剤を混ぜていた問題があったが、分からぬでも無い。
様々な事情で白濁しない事があっても、素人には通用せず、金返せなどと言われたりもするだろう。
成分がたとえどうであれ、気分が出ることの方が一番の保養になるともいえる。
 
しかし透明でないと湯船の段差も分からず、いきなり深みにはまって慌てないとも限らない。
更にまさかと思うが、底の方にあってはならないものが転がっているやも知れず、
なかなかにスリル満点なのである。
上記の白骨温泉ならば、露天風呂の底に骸骨の置物でも沈めていても面白いのではないか。
 
今回は露天風呂が無くて残念だったのだが、
数年前に行った温泉宿は田園地帯の中にあり、露天風呂のフチに立つと見渡す限りの緑の平野で、
数百メートル先の農道を耕耘機がノロノロ走っているというのどかな風景であった。
 
温泉から帰ってくると、すでに来年の温泉旅行の宿と日程が決定したとの携帯メール。
 
早!
 
用意周到すぎる幹事だが、いくら何でも早く決め過ぎではないかと思う。
私はこの恒例行事を十年仕切っていないのだが、そろそろお鉢がまわってくるか。
その時は先ほどの田園地帯の温泉にして、その露天風呂のフチに立ち、
一切鍛えてない割に良い体と言われる、この肉体を大自然に誇示してくるか。ふっふふ〜ん。
 

桜の木の下にはアレが埋まっている。2009/04/06

桜の木の下にはアレが埋まっている。
あと何回桜を観る事ができるだろう。
などと特に思っていた訳ではないが、
ここ数年、
積極的に花見に行く回数が増えた気がする。
まさか、死期が近づいているんではないだろうな。
 
しかし花見の宴席などを見かけると、
誰も花など見ておらず、
酒や食べ物、ばか騒ぎに夢中である。
 
古来、桜は枯れ木にいきなり花が咲くので、
なにかしら強い霊力が宿っていると考えられてきた。
その下に集い酒を酌み交わすのは分からぬでも無い。
 
花より団子などとも言う。
が、それにしても実際の宴席には、風流さは微塵も感じられない。
まあ、人間の感性は十人十色ではあるのだから、皆が同じ感覚で桜を見ているとは限らない。
 
ただ、昨日行った桜の名所になっている神社の境内の屋台で、嫌な行為を目撃したのだ。
鳥居をくぐって最初の屋台の、おそらくアルバイトと思われる若い店員が、
店で出た廃油を近くの排水口に流していたのだ。そのまま川に流れ込むだろうところにである。
 
彼は言われたままにやっただけなのだろうが、到着早々気分が悪かった。
神聖な神社で、しかも美しいものを愛でようという時に、あるまじき行為である。
おそらく、その屋台の店主にとって、神聖なものも美しいものも無価値で、
大事な事は唯一、金儲けだけなのだろう。
 
時代は違っても、この季節に各地の名所に花見に訪れる人が絶える事はない。
表向きはいつの時代も変わらぬ、春を代表する麗しい風物詩であるが、
訪れる人の心の中は、いつの間にか変質し、大事な何かを失ってはいないだろうか。
 
桜の木の下に本当に屍体が埋まっているかどうかはともかく、
生ゴミは埋まってそうではある。
真っ昼間から泥酔して転がっている輩なら何体も見たが、あれを屍体と言えばそうかも知れない。
 
本当に埋まっているのは、死んでしまった「日本人の心」なのではないか。
 
お、なんか、新聞の一面のコラムみたいなうまい事を書いたんじゃないか?
…と、ムリヤリ落とそうとする私が、一番心を失っている事に今気がついた。
 

もちろんこんな校舎じゃありません。2009/04/09

もちろんこんな校舎じゃありません。
何年ぶりだろうか、
高校の同窓会の案内が来た。
 
比較的同窓会が多く行われる小中高も、また大学も、
私は今まで同窓会というものに出席した事が無い。
 
卒業間もない頃には、
小さな集まり程度のものは行ったのだが、
正式に案内状が届き、
それなりの会場で行われるものは、
行った事がなかったのだ。
 
これは、小中学校は今の住所からは遠すぎ、
高校も、日帰りではすまないという、
主に距離的なものが理由だったのだが、
それらを克服してまで積極的に行こうという気が起こらなかったのも事実である。
 
それぞれの時代に仲の良かった友達も多かったのだが、距離的な事もあっていつの間にか関係が薄れ、
現在に至るまで、その後の友人や知人との関係以外は関心が薄れてしまった。
以前はまだ若かった事もあったのだろう、
同窓会に出席するというのが、妙に後ろ向きで、ダサいように思えて、やや気恥ずかしく感じていた。
また、昔を懐かしんで、同窓生に会いたいという気がそれほどはなかった。
 
しかし、今回の案内状は少し気になるのである。行ってみたいと思えてきた。
これも私が昔に比べて力が抜けてきたからなのか、それとも「老いた」のか。
このブログでも「回想」のカテゴリーが多くなってきたような気がする。
 
イベントが楽しいものになるか、失望に終わるか分からぬが、
ひとつだけ確かな事は、おそらくこれで青春の残滓に最終的な整理をつける事ができるだろう事だ。
 
はたして皆どのような変貌を遂げているのだろう。
部活を通じて一番仲の良かったあいつは?美人の誉れ高かったあの娘は?
影が薄い方ではなかったはずだが、すっかり体の「一部」が薄くなった私を誰か思い出すだろうか?
 
怪しい人物が紛れ込んでいると、つまみ出されないか心配である。いやマジで。
 

魂の重さも量れます。2009/04/13

魂の重さも量れます。
少し前にキッチンスケールを買った。
タイトルイメージのTANITAのKD-400である。
 
グラム単位の秤が欲しいという、
家族のリクエストに応えて入手した。
いずれはパン作りや、
お菓子・ケーキ作りなどに活躍するであろう。
 
2kgまで1g単位で量れて、
地域設定機能、風袋引き機能付きの標準的な製品だ。
使用しない時は表示部を畳む事が出来、
立てて置けるのでコンパクトなのだ。
 
これでキッチン関係の製品はまたしても、
メタリック、シルバー基調のものが増えた。
 
生産終了製品がほとんどだが、
冷蔵庫はウォームステンレスの三菱MR-CL38N、
電子レンジはマテリアルシルバーのSANYOのEMO-1000S(S)、
ガステーブルは、ガラストップでステンレスケースのオーディオアンプのような、Paloma PA-SG35WE。
電気ケトルは以前ここでも書いた、Russell Hobbsのカフェケトル 7100JPである。
 
昨今では色々な素材の流し台も多いようだが、我が家は改装したとはいえ、伝統的なステンレス製なので、
少々厳つい感じがしないでも無いが、シルバー基調のものは違和感無く置けるのである。
最近では私はキッチンにほとんど立たないので、無論これは家族の趣味とも合致した上でのことだ。
 
次に狙っているのは、Panasonicの炊飯器、SR-SV101Pである。
竃で炊くハガマのような雰囲気で、まず家族が食いついている。ちとデザインが狙い過ぎの感じもするが。
 
ところで、実際のクッキング作業で、1g2gだけのものを量る事は無いと思うが、
あくまでその精度で量れる事が重要ということなのだろう。
 
眉唾物の話だが、人間の魂の重さは21グラムと言われる。
私の魂もそれだけあるのだろうか。
 
少なくとも、このブログに込められた魂が軽そうなのは確かである。
 
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