怨霊となって蘇るほど恨みはない。2012/03/25

怨霊となって蘇るほど恨みは深くない。
少し前だが、珍しく歌舞伎を観に行った。
中村吉右衛門の「俊寛」である。
 
懇意にしている取引先の営業の人が
チケットが手に入ったからと誘われたのだ。
しかも前から5列目の真ん中あたりの良い席で、
久しぶりに生の芝居を堪能した。
 
さすがに吉右衛門の俊寛は素晴らしく、
最後の最後まで、まさに円熟の至芸であろう。
歌六の瀬尾も芝居っ気たっぷりで楽しめた。
 
又五郎と歌昇の襲名披露に続いて上演された
「船弁慶」もなかなか。
テレビなどで観れば、知盛の霊が出るまでは
眠くなってしまうところだが、
キレのある囃子も含め、生の舞台の迫力の前では寝るどころではない。
 
と、まあ、楽しい観劇であった。
 
…あの女さえいなければ。
 
その女は幕が開いてからやってきて、我々の前でウロウロした挙句、私のその連れの隣に座った。
葬式帰りのような全身黒づくめで、どうやら40代のよう。
 
身を乗り出すようにしてすぐ芝居に集中し始めたので、熱心なファンくらいに思っていた。
しかしどうもおかしい。「えらい!」とか「しっかりせえ!」とか妙な声をかける。
確かに芝居の内容には沿っているのだが、歌舞伎のかけ声というのはそういうものではない。
歌舞伎は芝居というよりは、芝居っぷりを観るといってもいいのである。
だからこそよく心得た観客が見せ場で「播磨屋!」などと屋号で声をかけるのだ。
 
廻りの観客も少しざわめきだして、チラチラ女の方をうかがい始めた。
我々は連れだと思われはしないかヒヤヒヤしていたのだが、どうやらかなり酔っぱらっているようで、
変に窘めると、予想外の反応をしてヘタをすれば芝居を止めてしまう可能性もあったでのある。
 
休憩時に女に話しかけられた連れは、普段の営業の経験から40代の女性の扱いに自信を持っていたようで、
その行動を制御しようとしたのか、丁寧に応対し始めたのである。
たちの悪い酔っぱらいの女はますます調子に乗って、
差別発言やこういった席には多い上流への批判など、あたりに聞こえるのも構わず言いたい放題で、
解説のレシーバーなど邪道だと、前の席の客をハゲオヤジ呼ばわりとビール片手に暴走の限り。
 
結局、前列の客たちの通報で、船弁慶の前に係員に連れ出されたのであるが、後味は悪かった。
私には営業の経験はほとんどないが、若い時の飲み歩きで酔っぱらいの対応は心得ている。
変に応対して話し相手になると思われたら、とことん絡まれるのである。
拍子抜けさせるようにスカして、こちらへの興味を失わせるのが一番である。
飲む席で全員がこれをやるといずれキレられるかも知れぬが、観劇とその休憩程度なら大丈夫だろう。
 
ただ暴走したからこそ途中でつまみ出される事になったので、まわりの観客同様、
おそらく変なかけ声が聞こえていたであろう、吉右衛門や他の役者はホッとしたのではないか。
 
しかし何が腹が立つといって、その女、連れとの会話で私と親子か?と言っていた事である。
いくら普段から加齢を嘆いているといっても、年下とはいえ不惑を過ぎた男と親子とは。
もっとも病院で母と夫婦に間違えられた兄ほどのショックは無いがね。
 
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