来年こそ、長くなりすぎたアレを切る。2012/12/30

来年こそ、長くなりすぎたアレを切る。
最近爪が伸びるのが早くなったような気がする。
手の爪はともかく、
昔は足の爪などそう頻繁に切らなかったように思うが、
すぐに靴下の破れを心配せねばならぬほどである。
 
師走で時が立つのが早く感じられるからではあるまい。
もちろんメカニズムは分からないし、
一般的な現象かどうかも分からないのだが、
やはり加齢の所為であろうことは想像に難くない。
 
古い話で恐縮だが、
昔、井上陽水の曲で「たいくつ」というのがあった。
その歌詞の冒頭が「♫爪が伸びている」だった。
この曲はその他にも
「♫蟻が死んでいる 角砂糖のそばで」
などという歌詞もあり、
当時の他のフォーク・ニューミュージックのアーティストからあげつらわれて馬鹿にされていた。
その頃多かった四畳半フォークなどといわれた私小説的な歌からすると、
この歌詞を言葉通りだけを捕らえて、実につまらない無意味なモチーフにしか映らなかったのであろう。
 
陽水の歌詞は独特で、「傘がない」も、
傘がないのに雨が降ってるけど恋人に会いに行かなくちゃというだけの歌詞なのだが、
批評家に「現代(当時)の若者の心理を見事に表現している」と絶賛されたためか、
他のアーティストによって馬鹿にされる事は少なかった。
 
件の「たいくつ」の歌詞は「♫帰りたい気もする ふるさとは遠い」で結ぶ。
つまりここにいたる微妙な心理の推移を描写するための、爪や角砂糖や蟻だったのである。
美辞麗句やストレートな物言いではなく、こういうのが真に詩的な表現だと思うが如何だろう。
 
むろん、当時20代だった彼の爪が伸びたのは私のように加齢の所為ではない。
無精によるものだろうが、その無精さ加減を暗示する事も心理描写になっているのだ。
 
ここに書く私の文章は暗喩も比喩もない、ただの老化報告なところが情けない。
近頃は長い眉毛も生え始め、耳毛などという恐ろしいものも生えてきた。
長い眉毛は家族が顔を覗き込み「余計なものが」などと呟きながら切ってくれたりするし、
耳毛もその都度抜いているのだが、少し無精すれば悲惨な事になることは間違いない。
村山富市と川内康範のコラボレーションという、ありがたくない事になりかねないのだ。
 
いかに大作詞家といえど、これをモチーフには出来ぬだろう。
「♫耳毛が伸びている 右耳が特に」・・・・・・申し訳ございませんでした。
 
またもろくに更新出来なかったブログだが、今年はこれが最後の更新である。
皆様良いお年をお迎えください。
 
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ノープラン、ノーコンセプトで綴る、
モノクローム・モノローグ。

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