鬼が出るか蛇が出るか2020/12/31

鬼が出るか蛇が出るか
思えば去年の今頃は
来年の「年紀」はオリンピックの総括と
実生活を絡めた雑記になるんだろうなどと
能天気なことを漠然と考えていた。

何もかもが懐かしい。

まさかこんな想像を絶する一年になろうとは。
世界中の誰もが予想だにしなかっただろう。

しかし、実は私は予知していたのだ。
去年の年紀の最後の一文をご覧あれ。

>いよいよ来年はオリンピックイヤーである。『どうなりますことやら。』

暗雲が立ち込めることを予知していたではないか!
え?無理がある?ダメ?あ、そうですか。

それはともかくこの一年、新型コロナウィルスによって生活様式は一変してしまった。

外出する時にマスクを忘れてしまった時の気まずさよ。
あたかもズボンを履き忘れて家を出て来た時のようだ。
…いや、やった事はないがね。

冷静に考えて、このままでは来年のオリンピック開催も危ういだろう。
中止となった場合のなんらかの救済措置はあるのだろうか。

今年のもう一つの話題といえば、あのアニメだろう。
実は去年話題になってたのでアニメも漫画も制覇していたのだが、
まさか今年社会現象となる程ブレイクするとは思わなんだ。
劇場版「鬼滅の刃」 無限列車編は、MX4Dまで待って観に行った。
映像とリンクしてシートが動き、風や水しぶき、匂い、閃光、煙、振動など11種類の特殊効果が楽しめる。
一緒に行った家族は匂いがしたというのだが、私はマスクのせいか全く感じなかった。
家族もマスクのはずだが、鼻が利かない訳でもないのに妙だなと思ったら、
もしかすると自分の口臭のせいで分からなかったのかも知れぬ。
いや、多少自覚はしていたが、そこまでか?鬼になれるのではないか?

「ビンセイ、鬼にならないか?」「なる!」

さて、来年のこと言うと鬼が笑うなどと言うが、もう前日なので構わんだろう。
以前から温めていた企画、今年もう少し進めようと思っていたものを年明け早々に本格化させる。
今年度中にはある程度世に出せている予定だ。
まだ詳しくは書けないが、私のキャラクターからは想像できない企画だとだけ申し上げておく。
後何年活動できるかだが、これだけは世に出しておきたい。そんな企画である。

来年は自身が鬼となるか、鬼に笑われるか分からぬが、
鬼のようなウィルスに食われぬよう健康に留意したい。ご自愛あれ。

良いお年を。

まさかの頭文字(イニシャル)R2019/04/30

まさかの頭文字(イニシャル)R
平成から令和へ、
このビッグウエーブに乗り遅れるな!
という訳でもないのだが、
一つの区切りとして平成最後の日に何か記しておく。
 
日記から年記に切り替えたのではなかったのか?
と思われたあなた、まあこれは平成最期の記事、
いわば元号記とでも解釈して頂きたい。
いや、そもそも年記というのは言い訳で、
本当は頻繁に更新したいのは山々なんだが。


いよいよ新元号に改元である。
令和の決定には音の響きも重要な要素だったと聞いた。
確かにスッキリとして新時代にふさわしい響きである。
それに比べ、漏れ伝えられる他候補の語呂の悪いこと。
「万保」とかどういうつもりでリストに挙げたのかと思えるものもあった。
「ばんぽうがんねん」とかお前それマジで言ってんの、である。
おそらくは候補を作る先生方は学者であって、詩人でも歌人でもないので、字の意味しか考えないのだろう。
もし伝えらるように当初令和がなかったとしたら、私でも追加候補を要求するだろう。
人名もそうだが、名前などついてしまえばその意味はすぐに消えてしまい、音の響きだけが残るものである。
 
平成の時は「平」が個人的にはちょっと平安時代を連想して、新しさはさほど感じなかったが、
万保のような胃もたれ感はなくさらっと使いやすいとは感じた。
平成は名とはウラハラに厳しいことも多い時代であった。
令和という新しい御代がどのような時代になるか、楽しみでもあり、不安でもある。


さて、昔このブログで高校の同窓会に出席した話を書いた。
10年後に再度開催の旨がアナウンスされていた、その同窓会に数日前参加してきた。
 
その時の記事で今回の同窓会のことを予想して書いた覚えがある。
さすがに10年くらいではそう変化もなく、感慨深さもさほどあるまいと。
なんのなんの、以前不参加で会いたかった人にも会え、前回以上に旧交を温めることができたのである。
在学時や卒業後しばらくは赤面もののエピソードも、この歳になればバラシ放題ツッコミ放題で痛快なのだ。
しばらくはタイムスリップしたような非日常感に浮かれていたような気がする。
しかしまた日常に戻ってみると、あの催しが本当にあったのか疑わしいような気さえしてくるから不思議だ。
やはり遥かなる過去は過去、青春の残滓はまたもや凍結し、ロッカーの奥底に眠ることになるのだ。

 
高校時代は昭和真っ只中のことで、平成など丸ごと跨いでいる。
つまり、人生の実質的な活動期間がそっくり平成の30年間に当たる訳だ。
まだまだ隠居は先のつもりだが、それでも来たる令和の時代に終末に向けたスローダウンの時間がいずれくる。
新しい御代の参画者となりたくも、やはり傍観者として過ごすのだろうか。
 
ところで前回と同様10年後の同窓会開催のリクエストが上がっていた。
開催されるかどうか分からぬし、参加するかも微妙だが、
たとえ開催されても出席率より生存率を心配せねばなるまい。
会場は「冥土の間」やもしれん。

有名と無名のあいだに横たわる深い深い闇2015/08/22

有名と無名のあいだに横たわる深い深い闇
さて、例によって1年ぶりにもかかわらず、
何食わぬ顔で更新してみる。
 
毎回オリンピックの時期になると
そのデザイン関係の話を書いてきた。
しかし今回の東京オリンピックのロゴは
発表時からあれこれ騒がれたので、
書こうかどうしようか迷っていたのだが、
やはりなんらかの所感を書いておくべきだろう。
 
今回の作品においてパクリ・盗作問題が
取りざたされていることについては、
以前、井伏鱒二の盗作について触れた
「一日一冊」の記事を読んだ際に、
当ブログのエントリーに記したように、
本来的には微妙な問題を含んでいる。
つまりデザインの基本的な要素、形や配色といったものは、自ずと限られており、
手法の類似は多少やむを得ない側面があるのだ。本来は。
 
ところが、これまでのこのデザイナー氏の別の作品についてもネット上であれこれ指摘があったように、
剽窃、素材の無断使用がいくつも疑われている。
本人はオリンピックのロゴに関しては否定しているが、こうなるとかなり怪しい。
ベルギーの劇場は頭文字の「T」と「L」のローマン体を表現していると納得できるのだが、
今回のロゴは左上のTのセリフ部分はともかく、右下の「L」のセリフのような部分が意味不明だ。
全体で円を構成しているとしているが、無理があるように思える。
 
そもそも日本で行われるイベントに、なぜ頭文字のアルファベットを要素の中心に据えるのか。
全体に地味な印象で、とても国際的な華やかなイベントを連想できない。
それどころかスポーツの祭典とも、日本で行われるイベントとも表現がほとんどできていない。
へたすりゃ近所の葬儀屋の新しいマークだと言われりゃそうかもと思える出来である。
 
本人の解説によると、あらゆる色を混ぜると最終的には黒になることから、
黒の棒で多様性を表しているとしているが、どこの世界に黒い色を見て多様性を感じる者がいるのか。
私もデザイナーなので、ついやりそうになるからまあ分かるのだが、これは明らかに後付けである。
多様性を表現しようという発想が先にあったのではなく、制作してしまってから、
その意味を込められると言えば、プレゼン的にアピールできるのではないかと考えたからと思われる。
 
ただし、盗作は論外だが作品の不出来はデザイナーのその作品における評価に過ぎず、
今回の問題の本質は、幾つもの作品の中から選定委員会がどのような経緯で最終的に決めたのか、
その辺りがどうも不透明で怪しく、徹底的に明らかにされるべきであろう。
 
今回の東京オリンピックでは、国立競技場をアンビルドの女王に依頼してしまった顛末にしろ、
学生がふざけて作ったのかと思われるような、
これ以上ダサくできそうもない東京観光ボランティアのユニフォームにしろ、問題噴出である。
特にユニフォームは日の丸をこれ以上矮小化・陳腐化できないのでないかというほどの扱いで、
全体で見れば、東京はむろん日本を全く感じさせず、韓国のユニフォームかと思うほどである。
 
東京オリンピックの組織委員会の皆様、もろもろ見直すなら今ですぞ。
国際的なデザインの賞にかすりもしない私に仕事が回ってくるはずもないが、是非とも私に依頼を。
すごい腹案があるんですがね。競技場イメージにも、開会式のシンボルにも繋がりうるすんごいのが。
これで国際的な名誉は一気に回復ですぜ。・・・という夢を見た。

May the Force be with you.2012/10/31

May the Force be with you.
先月に引き続き、
またまた健康に関することでも書こうと
何気なくニュースを眺めていると、
ディズニーがルーカスフィルムを買収とか。
 
本来9部作と言われていたスターウォーズの
エピソード7以降が映画化されるらしい。
 
以前ジョージ・ルーカスは
7以降のシリーズは作らないと発言していたし、
もともと構想のあったストーリーアイデアは、
すでに1~3の中に吸収されたとの噂もある。
 
またその後に色々な作者によって生み出された
スピンオフ作品などがありややこしい。
世界中にコアなファンが存在し、サーガともいわれる作品の続編となれば、いろいろ論議を呼ぶだろう。
 
しかし私は新しい作品が生み出されるのなら、単純に楽しみである。
年がバレてしまうが、最初の作品エピソード4が日本で公開された時、
親戚の女の子と劇場に観に行った思い出が、セピア色に浮かび上がってくるのだ。
この、親戚の女の子と行ったというあたり、全然色気のないしょぼいエピソード1なのだが、
映画自体は当時の映像技術を遥かに凌駕したエキサイティングな作品として、強烈な印象を受けたものだ。
 
今となっては初期の作品の特殊効果もやや陳腐なものになってしまい、
後に製作されたエピソード1〜3の宇宙船のシステムの方が、
時代的に後の4〜6のものより遥かに優れているという矛盾もあるが、まあこれはご愛嬌。
 
当時、ミレニアム・ファルコン号が光速に突入する時のエフェクトに
テンションが上がったのは私だけではあるまい。
 
現実的には光速に近い速度で移動しようとすれば、星はあのように後方に軌跡を残しながら過ぎ去らない。
むしろ降雨現象により、前方に集束するように集まり、ドップラー効果で虹色に輝くはずである。
ま、そんな事を言い出すのは野暮というものだな。
 
新作が公開されれば、映画館に足を運ぶことになるだろう。また一つセピア色の思い出が増える訳だ。
私の座骨神経が上映時間に耐えられればの話だが。…おっと、またしてもジジ臭い話になってしまった。
 
フォースと共にあらんことを。
 

Steve, requiescat in pace.2011/10/06

Steve, requiescat in pace.
スティーブ・ジョブズが亡くなった。
享年56歳。早すぎる死である。
 
彼の人柄や、偉大な業績については、
すでにあちこちであらゆる立場の人が書いているので、
ここででは多くを語らないことにする。
 
Apple製品との付き合いはMac導入後からなので、
もう20年近くなるだろうか。
最初のMacはまだPowerPCでさえ無い、
メモリ40MB、HDD500MBと言う非力な、
今から思えば、
よくそれで仕事できたなというマシンだった。
それを遥かに凌駕するマシンが、
今ではポケットに入るのだから隔世の感である。
 
あれから増えた、いくつものApple製品のリンゴマークを見つけては、
子どもが「あのリンゴは誰がかじったの?このリンゴは?」などと言っていたことを思い出した。
Apple=Steveとされる男が去って、これからの世界最大の企業が果してどうなるか、興味深い。
 
「毎日を人生最後の日だと思って、素晴らしいと信じた仕事をすれば、誰でもひとかどの人物になれる。」
という言葉を17歳から信じて、ジョブズはその通りに生き、ひとかどのどころか伝説的な英雄になった。
アップル公式サイトのトップページに掲げられた彼の有名な画像は、ファイル名が「t_hero」である。
 
ジョブズの写真を見る度に、家族は私に雰囲気が似ているという。
あんなイケメンではなく、それほど似てるとは思わないが、年を重ねると似てくるのかもしれぬ。
彼のようには生きられなかったし、またこれからも全く違う生き方になるだろうが、思うところはある。
 
どうも人生を無駄に過ごしてきたような気がしてならない。謙遜でなく馬齢を重ねてきたのではないかと。
若い時に思い描いていた目標の自分に近づいているのか、あの頃望んでいた未来に立っているのか。
 
ここ数年、ずっとそのあたりのことを考えていた。
食うための仕事、儲かるための仕事に追われて、本当にやりたいことをやって来なかったのではないか。
彼の言葉を借りれば、まさに、
「あなたの時間は限られている。だから他人の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない。」
人間,人生の折り返しを過ぎるとそんな事を思うものらしい。
自分が何も成し遂げてない、何かやり残したことがあるような気がして、激しい焦燥感に駆られるのだ。
 
そして今も焦燥感に駆られている。早く、早くオチを思いつかなければ…。
 
いや、今夜はやめておこう。
スティーブン・ポール・ジョブズ。心よりご冥福をお祈りいたします。
 
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