新しいものと懐かしいもの。2019/12/31

新しいものと懐かしいもの。
何度目かの年記、オチにキレがないのを予告しておく。

先日待望の新型MacProが発売された。
すでに世界中でアンボックス動画や
ベンチマークテストが公開されているようである。

6月の発表時には
その異形とも言えるデザインが話題となっていた。
チーズおろし器だの
トライポフォビアには辛いだの言われてきたが、
発売されると実際にチーズや大根をおろそうとする
猛者も現れる始末である。
トライポフォビア集合体恐怖症については
iPhone11Proの3眼のカメラレンズでも
反応する人がいるらしい。
さぞ生きづらいだろうと思われる。特に同情はしないが。

アップルが他企業と差別化されてきたのは、
こういった思い切ったデザインを細部まで丁寧に仕上げた上で世に出すところだろう。
ただし、そのデザインや性能と見合っているのかいないのか、驚くべきなのはその価格である。
全部入りなら500万オーバーときた。

ヴヒョー!

失礼、変な声出た。
私の現在のMac Proはさすがに古く、ディスプレイ共々更新せねばならぬとはいえ、
ベーシックなシステムでもディスプレイと合わせて100万を超える。
動画制作などを始めていることもあり、導入したいところだがさて。


話は変わるが、秋に車で遠出をして2泊ばかり兄弟の家に遊びに行った。
その時にもう不要になったからとギターを譲り受けた。フェンダーのエレアコである。
すごく高価なものではないが、久々にギターにふれることとなった。
学生の頃は12弦ギターを弾いてよく演奏したものだった。
今時のように路上ライブがそれほど一般的ではなく演奏機会はあまり多くなかったが。

遥か昔に手放して以来、全くギターに触れていなかったので、
予想はしていたが、指が痛くて碌にコードもまともに鳴らせない。
少し弦を押さえただけで指先が真っ二つである。
痛みを抑える指サックななどもあるようだ。入手してでもトレーニングしようか。

ストロークでコードを鳴らせば、懐かしいあの学生時代の情景までもが蘇る。
色気づいていた純粋だった学生時代に思いを馳せることができるのだ。
せっかく手元にあるのだから、例えば米津玄師あたりを弾きこなして家族に聴かせたい。

誤解されては困るが、何もギター練習動画をYoutubeに上げるためにMacProが欲しい訳ではない。
オッサンが指が痛い痛い言いながらボロンボロンエレアコ弾く動画を誰が見たい?
待てよそれも一興……いやいや勘弁してくれ。

いよいよ来年はオリンピックイヤーである。どうなりますことやら。
良いお年を。


初恋の人でもないのに別な意味でドキドキした。2018/12/31

うっかり忘れるところだったが、ギリギリで踏みとどまり、
今年の年記を記すことにした。

去年の年記で触れていた、
中学の同窓会に年初に行った。
何しろ中学卒業以来一度も会ってない人も多く、
名前がなかなか思い出せない。
高校の同級生であればなんとなく
面影が残っていることがほとんどだし、
小学校からの同級生は馴染みの度合いが大きいからか、
これもまあ比較的容易にわかる。
しかし中学の時のみの人だと
その後の顔の変わり様も大きく、

やっちまったのだ。

ある女子に「私、誰だか分かる?」と言われて答えられなかったのだ。
向こうはこちらが誰だかすぐに分かったようで、しどろもどろの私にブチ切れて「殺す!」とまで言われた。
しばらく後に思い出した学年一位だったその人に、適当なごまかしは通用しなかったのである。
そんなに親しくなかったじゃねーかと内心思いつつ、謝り倒したのが宴も半ばになってからだった。
きっと密かに私のことが好きだったに違いない、などと推理してみたがいかが。

さて、タイトル画像にあるように、車を買った。
昔から気に入っていたアルファロメオのジュリエッタである。
但し、新車は納期がかなりかかる上、欲しいカラーもなかったので、2013年型の中古である。
車のない生活が続いていたところ、去年どうしても車の必要性を感じて即納車が条件の一つだったのだ。
1400ccターボ170馬力で基本性能はまずまず。
私のクルマ選びの基準は、走る・止まる・曲がるなどの基本走行性能がある程度のレベルにあれば、
最近ハヤリのハイブリッドや自動運転などは2の次3の次、何は無くともデザイン、造形なのだ。
日本車は勿論、欧州車でもデザインはとにかく画一的でつまらなくなってる。
ヘッドライトは平行四辺形の、家族に言わせると「怒ってる」ような顔で、
これまた厳ついグリルと組み合わせて一丁上がり、てな具合だ。

私の好みのデザインの車は全世界全メーカーで4車種。ジュリエッタの他は全てポルシェで、
流石に手が出しづらいし、大きな車ばかりなので持て余すだろう。
だからこれ一択なのである。
そのジュリエッタも近々あるモデルチェンジでは、ジュリアのような顔つきになるようで、
そうなると、買い替えもないかなと思っている。
いずれにせよ中古とはいえお気に入りの車に乗れて、今年はニヤニヤしているのだ。
家族も気に入っていて、それもホッとするポイントである。

2012ごろに出たこの車のムック本を持っているくらいなので、初恋でもないが思い入れはある。
思い入れがさほど無かった同窓の女子の名前はさっぱり思い出せなかったが、
そのことを怒っていた彼女にとって私の方がジュリエッタだったのかも知れない。
とキモいことを言って今年の最後のオチとします。…いいのか。

新元号となる2019年が皆様にとって実り多い年でありますように。

100年記を執筆中です。なお完結はしない模様。2016/12/31

100年記を執筆中です。なお完結はしない模様。
とりあえず生存報告。
ここまで更新しないと
照れ隠しに日記代わりなどと言っていられん。
これからは「年記」とでも称するしかないか。
「いやー、ブログやってんすよ。
ま、年記代わりみたいなもんすけどね」
などと使います。
 
10年前から5年前くらいまでは
初めての経験が続いたこともあってか、
時の経つのが遅い気がしていたのだが、
いざ10年経ってみるとあっという間だったというのが
現在の正直なところである。
考えてみれば人生せいぜい100年足らずなのだから、
10年があっという間に過ぎては堪らんわけで、
あっという間を数回繰り返すだけでお仕舞いではないか。
これではいかんと何かしら人生を濃密にする活動をせねばと思えど、
劣化し萎んだ脳細胞はエンストを起こすばかりである。
とまあ、例によって自虐的なことを書いて字数を稼いでいるのがバレそうなので、多少まともな話を。

今年はオリンピックイヤーでもあった。
日本人選手の活躍もあり楽しめたし、また閉会式の東京オリンピックパフォーマンスも話題になった。
東京オリンピックといえばエンブレム公募に私が応募したかどうか覚えている方もいるかもしれない。
応募は確かにしたのだが、ご承知のように採用されたのは私の作品ではない。
それどころか採用作品をみればそもそも私が応募した作品が受かるはずがなかった。
おそらく早い段階で落とされたのではないか。
時間がなく完成度を上げきれたか微妙ではあったが、もし最終候補に残ったとしても、
どなたかが指摘されていたごとく他3作品と同様、当て馬にされるのが精一杯だったろう。
そのくらい選考委員、特に専門家の選考基準と乖離していた。まあ、仕方がない。
もはや何が受けるかわからん。年賀状もやり過ぎを反省して、普通のものにした。いいのかこれ。

オリンピックに影響されたわけではないが、秋口から筋トレをまた始めた。
筋トレ用のマットと水を入れて使うダンベル、のちには筋トレ用のゴムまで購入してまずは形から。
腹筋・背筋・腕立て伏せはもちろん、スクワットやその他の筋肉運動をほぼ毎日行っている。
近頃は心なしか体が一回り大きくなってきたようにも感じるが、
私の目的はボディビルドではないし、もちろんダイエットでもない。
とにかく体力をつけることと、怪我しない体を作りことである。
体力といっても何キロかダラダラ走れる体力があってもしょうがない。
当面の目標は200m全力疾走である。無酸素でどれくらい運動できるか、これが目指すところだ。
年明けから全力疾走を何本か織り交ぜたインターバル走でも始めようと思っていた。

昨日までは。

やっちまったのだ。 またしても腰痛。大掃除で腰を痛めてしまった。
慣れない姿勢で窓拭きなんぞしたのが祟ったようだ。
怪我しない体作りでもあった筈だったが、知らず知らずのうちに疲労が溜まっていたのかもしれない。
いずれにせよ当分は筋トレ中止。正月も休息というか下手すりゃ寝たきりで過ごさねばならんかもしれん。
まさしくトホホな状況だが、一つ分かったことがある。と言うより思い出したことというべきか。
やはり筋肉トレーニングで培った筋肉は所詮役に立たんということである。
本当に役立つ筋肉は現実の様々な動きの中で鍛えられるものだということ。
元々分かっていた筈なのに、筋トレというものは続けているとそれが目的化してしまって、
当初の思惑を忘れてしまいがちなのだと今回痛感した。
いずれ外でインターバル走など体を動かして鍛える、その準備段階の筋力増強だったのだが。

ともあれやっちまったものはしょうがない。
いずれ腰が回復すれば、今度はストレッチやランニングに重心を移して筋トレの比重を下げようと思う。
私の劣化し縮んだ億千万の脳細胞は戻らなくとも、体力は戻ると信じてやるしかない。
まあ、劣化し縮んだなどと言っているが、
実は使っていればいずれは脳細胞も復活するのではないかと、根拠もなく密かに思っていたりするのだ。
そう、私は元々超のつく楽天家なのである。人生100年足らずとはいえ、まだまだある。
年記と称してブログを書くのも逆に余裕の表れということで、前向きに捉えようではないか。

ここまで書いてもオチを全く思いつかんので、どう着陸しようか困っているのだが、
読み返すと最初の方で多少まともな話をなどと書いておきながら、やっぱりどうでもいい話だった。
という微妙なオチでどうですか、ダメですか。
やっぱり脳細胞の復活は無理だなこりゃ、割り切って脳も筋肉で置き換えることにするかな。
その方が100年記が完結しそうな予感がする。

良いお年を。

有名と無名のあいだに横たわる深い深い闇2015/08/22

有名と無名のあいだに横たわる深い深い闇
さて、例によって1年ぶりにもかかわらず、
何食わぬ顔で更新してみる。
 
毎回オリンピックの時期になると
そのデザイン関係の話を書いてきた。
しかし今回の東京オリンピックのロゴは
発表時からあれこれ騒がれたので、
書こうかどうしようか迷っていたのだが、
やはりなんらかの所感を書いておくべきだろう。
 
今回の作品においてパクリ・盗作問題が
取りざたされていることについては、
以前、井伏鱒二の盗作について触れた
「一日一冊」の記事を読んだ際に、
当ブログのエントリーに記したように、
本来的には微妙な問題を含んでいる。
つまりデザインの基本的な要素、形や配色といったものは、自ずと限られており、
手法の類似は多少やむを得ない側面があるのだ。本来は。
 
ところが、これまでのこのデザイナー氏の別の作品についてもネット上であれこれ指摘があったように、
剽窃、素材の無断使用がいくつも疑われている。
本人はオリンピックのロゴに関しては否定しているが、こうなるとかなり怪しい。
ベルギーの劇場は頭文字の「T」と「L」のローマン体を表現していると納得できるのだが、
今回のロゴは左上のTのセリフ部分はともかく、右下の「L」のセリフのような部分が意味不明だ。
全体で円を構成しているとしているが、無理があるように思える。
 
そもそも日本で行われるイベントに、なぜ頭文字のアルファベットを要素の中心に据えるのか。
全体に地味な印象で、とても国際的な華やかなイベントを連想できない。
それどころかスポーツの祭典とも、日本で行われるイベントとも表現がほとんどできていない。
へたすりゃ近所の葬儀屋の新しいマークだと言われりゃそうかもと思える出来である。
 
本人の解説によると、あらゆる色を混ぜると最終的には黒になることから、
黒の棒で多様性を表しているとしているが、どこの世界に黒い色を見て多様性を感じる者がいるのか。
私もデザイナーなので、ついやりそうになるからまあ分かるのだが、これは明らかに後付けである。
多様性を表現しようという発想が先にあったのではなく、制作してしまってから、
その意味を込められると言えば、プレゼン的にアピールできるのではないかと考えたからと思われる。
 
ただし、盗作は論外だが作品の不出来はデザイナーのその作品における評価に過ぎず、
今回の問題の本質は、幾つもの作品の中から選定委員会がどのような経緯で最終的に決めたのか、
その辺りがどうも不透明で怪しく、徹底的に明らかにされるべきであろう。
 
今回の東京オリンピックでは、国立競技場をアンビルドの女王に依頼してしまった顛末にしろ、
学生がふざけて作ったのかと思われるような、
これ以上ダサくできそうもない東京観光ボランティアのユニフォームにしろ、問題噴出である。
特にユニフォームは日の丸をこれ以上矮小化・陳腐化できないのでないかというほどの扱いで、
全体で見れば、東京はむろん日本を全く感じさせず、韓国のユニフォームかと思うほどである。
 
東京オリンピックの組織委員会の皆様、もろもろ見直すなら今ですぞ。
国際的なデザインの賞にかすりもしない私に仕事が回ってくるはずもないが、是非とも私に依頼を。
すごい腹案があるんですがね。競技場イメージにも、開会式のシンボルにも繋がりうるすんごいのが。
これで国際的な名誉は一気に回復ですぜ。・・・という夢を見た。

風が吹けば誰かさんが儲かる。2013/02/23

風が吹けば誰かさんが儲かる。
始まりはiPhoneである。
家族が3年前に私と一緒に買ったiPhone4を落として、
裏面のガラスが割れてしまったのだ。
透明のケースに入れていたのだが、
逆にそれが全体に強い圧力になったのかも知れない。
 
2年過ぎているし、それならついでにと
私も一緒に新しいiPhone5に換えることにした。
ネットなどの写真では
背面は黒とグレーのツートンのように見えたので、
ちとダサいかなと思っていたのだが、
実機はグレーというよりはマットブラックで、
古い硯のような質感である。
思ったよりも高級感があり、
むしろモノリス風のこちらの方が私の好みに合う。
 
使い始めてみると、今度は逆にそれまでの4がひどく古臭いものに思えてきた。
以前書いたように、こころなしかスチームパンクなニュアンスが強調されてきたような感じなのだ。
 
さて、新しいガジェットを手に入れて多少浮かれていたのもここまでである。
いざ旧機種のバックアップから新機種に復元しようとすると、私の古いPowerMac G5ではできなかった。
Intelチップを積み最新のOSが必要であるらしい。
このままでは新機種を全く生かしきれないと悩んだ末、最新のMac Proに換えることにした。
 
使用中のMacは確かに古く色々問題が生じていたので、いずれは買い替える必要があったものの、
今年には全く新しい新世代のMacProが発売されるとの見通しがあったため、それまで待つつもりだった。
しかし背に腹は代えられない。
新世代機種を見越して今回は一番下のグレード、クアッドコアのMac Proを買った。
 
新しいマシンはSSDにも換装し完全64bit起動とも併せ、下位機種とはいえあらゆる動作が桁違いに速い。
もっと早くこれに換えておけば良かった。…と多少浮かれていたのもここまでである。
機種世代間の差が大きいためか、Adobe CSなどソフトの多くが正常に動かないのだ。
やむなくAdobe CS6のクラウドサービスにアップグレードした。
 
移行に伴う諸々の処理を一つずつ済ませて、やれやれと一息ついた。…と思ったのもここまでである。
これまでMac上で行ってきたFAXの送受信ができないことが判明した。
USBモデムが使えないためだが、旧機種をそのためにだけ運用するにはあまりにも嵩張る。
いまさらFAX器機を買うのもなんだし、レガシー技術をどんどん捨て去るAppleを呪っても仕方がない。
そこで、古い非力なMac Mini G4をヤフオクで安く落札した。これなら嵩張るまい。
Faxサーバとして現在絶賛稼働中である。
 
はじめはiPhoneを換えようと思っていただけなのに、マシン環境などを全部換えることになってしまった。
「風が吹けば〜」のように奇想天外に展開した訳ではないが、
坂道を転がり落ちるかの如く、次から次へ出費を伴う対策をとらなければならなかった。
結局儲かったのはどの局面でもAppleというオチである。
儲けている会社にさらに儲けさせるとは、私もなかなかお人好しよのうと自嘲するしかない。
なあに、この新しい環境で一儲けしてやる。…と思わずにはやってられない、くっそー。
 
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