死亡宣告されるも、どっこい生きている。2017/12/31

死亡宣告されるも、どっこい生きている。
さてと今年も年紀を記す季節がやってきたか
と恥ずかしげもなく書いておくとする。

 
放置している間に随分と英語のスパムコメントに
散々荒らされていたようで
流れぬ川は澱み生命は死に絶え異臭を放つ。
もはや死亡宣告されたも同然なブログだが
とりあえずさっと箒で掃いて再開してみた。

 
来年は私にとっては節目の年である。
そのことを殊更意識しているという訳ではないが
様々なことを清算したりまた始めたりしている。

 
確か去年の「年紀」で
年明けから走り始めるなどと宣言していたが
実のところ始めたのは秋口に入ってからである。
ともあれウェアやシューズ、Apple Watchまで取り揃えまずは形から。
早朝城の周りを2km、まずはウォーキング。
現場までそこそこ距離があるので往復は自転車である。
いやいやそこも走れよと思ったあなた、私の体力をなめてもらっては困る。
行ったはいいが帰れなくなる可能性もあるのだ。
全て歩道で信号や交通安全のこともあるし、何より周回コースだとランニング量をコントロールしやすい。
その代わりと言っては何だが、3代目STRIDAの3段変速を生かして、自転車もトレーニングに組み込んだ。
なるべくスピードを上げトライアスロンならぬジアスロンといったところだ。
しかし毎日続けるとえらいもので徐々に走れるように、持久力も少しずつついてきた。
さすがにこのところの寒さで路面の凍結が怖いので気温によっては中止し、スクワットに切り替えている。
天候などでしばらく中止すると走りたくてたまらなくなるようになってきた。こうなるとシメたものだ。
今後はさらに距離とタイムを伸ばし、最終的にはインターバル走に持っていきたい。

 
始めたこともあれば清算したことも色々ある。
例えば私の右頬には1円玉大の黒いアザがあったのだが、
これは生まれつきあったものではなく、30過ぎくらいに後天的にできたものである。
当時かけていた玉の大きいメガネの特殊なマット塗料が肌に合わず、かぶれてしまった痕なのだ。
面倒だったので長年そのまま放置していたのだが、ここにきて除去することにした。
美容整形に行けばウン万とかかると言われたが、まずは近くの総合病院の皮膚科で診断。
すると診察した中年の女医は
「シミが顔にあると老けて見えますからねぇ。私も顔にホクロが多いせいで老けてみられるんですよ」
などというので「いや、それはどうかな」と返すと微妙な空気に。
女医は気を取り直して「レーザーで取りましょか、美容整形でやれば高いけどうちは安いですよ」
と気軽に言いながら、炭酸ガスレーザーであっという間に除去した。800円ほどである。
もっと早くやりゃ良かったと思ったが、10年、20年前だと状況は違うかもしれず、まあいいかと。

 
卒業以来、中学校の同窓会に一度も参加していないのだが、
年明け早々に宿泊付きで行われる同窓会には参加してみようと思っている。
何しろこの歳になると彼らには死ぬまで会わない可能性も高いのだ。心残りのないようにしたい。
こんなことを書き出していると、もう余命いくばくもないのかと思われるだろうが、
夏に初めて受けた人間ドックでも大した異常は見つからず、すこぶる健康である。

 
普段赤いものなど身につけることはないのだが、新年は赤いパンツで迎えようと思う。
誰にも見えんだろうと変なニヤニヤがでそうな感じである。
オチはハナから考えてない(キッパリ)
良いお年を。
 

風が、いや風邪をひけば医者が儲かる。捻りなし。2013/11/18

風が、いや風邪をひけば医者が儲かる。捻りなし。
この1ヶ月、体調を大きく崩した。
10年分くらい病院に通ったような感じである。
 
鬼の霍乱とも言うべき珍しい事態だが、
幸いにも全て重篤という程ではないのが救いである。
 
最初、喉に違和感を感じたのが1ヶ月半程前のこと。
しばらくして咳が止まらなくなった。
痰がからむような重い咳が絶え間なく出る。
もともとあまり咳をしない人間のため、
さすがに数日続くと不審に思い、
少し前に家族が行った近くの呼吸器内科に駆け込んだ。
 
診断結果は家族同様「咳喘息」。
この季節、我々の年齢には多いと聞く。
でかいヨーヨーのような吸引型の薬と内服薬を処方してもらった。治るのに1〜2ヶ月は要するらしい。
 
やれやれ、しばらくはこの治療かとうんざりしていたのも束の間、数日後に39℃超えの発熱である。
朦朧と打合せする私に、何らかの感染の危機を感じたか、遠巻きに見る取引先の人の目が忘れられない。
インフルエンザを疑い件の内科に駆け込むと、インフルエンザではないが風邪を酷く拗らせているとの事。
これまた先の薬との同時服用が問題ない事を確認して、抗生物質一式を処方してもらった。
さすがに抗生物質の効き目よろしく、瞬く間にこちらの方は改善。
とりあえず目出たし目立たし。
 
と思いきや、今度は鼻が全く利かなくなったのである。
風邪が治った後、妙に鼻声が続くと思ったら、ある時、料理の味が全く分からない事に気がついた。
何を食べても何の味もしない。言われれば僅かの甘みと塩味を感じる程度である。
どうやら匂いを全く感じなくなったようだ。強い刺激臭のある薬品を嗅いでも全く匂わない。
食べ物の味に関しては嗅覚が8割ぐらい関与しているのではないか。
これは通常の風邪の症状どころではない。家族の経験話を聞いて、今度は耳鼻咽喉科へ。
 
診断結果は案の定「急性副鼻腔炎」。要するに急性蓄膿症である。
レントゲンに写った額のあたりの副鼻腔がハート形なのを可愛いと思う余裕も無く、
またまた抗生物質一式と、今度は日焼け止めの容器のような点鼻薬を処方してもらう。
こちらは瞬く間に改善とは行かず、未だに嗅覚は戻らない。
よく味気のない食事を「砂を噛むような」というが、
実際味を全く感じないと、温かくて舌触りが良いだけで、不味いという感じが全くしない。
むしろ悪くない印象の方が強くなるのは不思議である。
 
いつもスタジオにマグカップいっぱいのコーヒーを持ち込んでいるのだが、
今なら味は全く分からないのだからと、砂糖をお湯で溶かしたものに替えたのは、
いくら何でも合理的すぎると家族に呆れられた。
まてよ、そういや普段コーヒーに砂糖は入れないんだった。
白湯で良かったのだ。私の合理主義もまだまだだな。

来年こそ、長くなりすぎたアレを切る。2012/12/30

来年こそ、長くなりすぎたアレを切る。
最近爪が伸びるのが早くなったような気がする。
手の爪はともかく、
昔は足の爪などそう頻繁に切らなかったように思うが、
すぐに靴下の破れを心配せねばならぬほどである。
 
師走で時が立つのが早く感じられるからではあるまい。
もちろんメカニズムは分からないし、
一般的な現象かどうかも分からないのだが、
やはり加齢の所為であろうことは想像に難くない。
 
古い話で恐縮だが、
昔、井上陽水の曲で「たいくつ」というのがあった。
その歌詞の冒頭が「♫爪が伸びている」だった。
この曲はその他にも
「♫蟻が死んでいる 角砂糖のそばで」
などという歌詞もあり、
当時の他のフォーク・ニューミュージックのアーティストからあげつらわれて馬鹿にされていた。
その頃多かった四畳半フォークなどといわれた私小説的な歌からすると、
この歌詞を言葉通りだけを捕らえて、実につまらない無意味なモチーフにしか映らなかったのであろう。
 
陽水の歌詞は独特で、「傘がない」も、
傘がないのに雨が降ってるけど恋人に会いに行かなくちゃというだけの歌詞なのだが、
批評家に「現代(当時)の若者の心理を見事に表現している」と絶賛されたためか、
他のアーティストによって馬鹿にされる事は少なかった。
 
件の「たいくつ」の歌詞は「♫帰りたい気もする ふるさとは遠い」で結ぶ。
つまりここにいたる微妙な心理の推移を描写するための、爪や角砂糖や蟻だったのである。
美辞麗句やストレートな物言いではなく、こういうのが真に詩的な表現だと思うが如何だろう。
 
むろん、当時20代だった彼の爪が伸びたのは私のように加齢の所為ではない。
無精によるものだろうが、その無精さ加減を暗示する事も心理描写になっているのだ。
 
ここに書く私の文章は暗喩も比喩もない、ただの老化報告なところが情けない。
近頃は長い眉毛も生え始め、耳毛などという恐ろしいものも生えてきた。
長い眉毛は家族が顔を覗き込み「余計なものが」などと呟きながら切ってくれたりするし、
耳毛もその都度抜いているのだが、少し無精すれば悲惨な事になることは間違いない。
村山富市と川内康範のコラボレーションという、ありがたくない事になりかねないのだ。
 
いかに大作詞家といえど、これをモチーフには出来ぬだろう。
「♫耳毛が伸びている 右耳が特に」・・・・・・申し訳ございませんでした。
 
またもろくに更新出来なかったブログだが、今年はこれが最後の更新である。
皆様良いお年をお迎えください。
 

リターン・オブ・座・骨神経22012/09/30

リターン・オブ・座・骨神経2
2月に初めて症状が出た座骨神経痛
数週間前からまたぶり返してきた。
文字通り座骨神経2である。
しかも前回より痛みが強いようだ。
 
しばらく我慢していたのだが、
生活に支障が出てきたので、
診療所での診察を経てMRI検査を受けることになった。
 
MRIは実は初めてである。かなり不安だ。
もちろんあの工事現場のような音のことではなく、
人ひとりしか入れないあの狭い空間に
否応もなく押し込められることだ。
 
何を隠そう私は閉所恐怖症なのである。
 
よくテレビのスペシャル番組などで洞窟を探検するシーンがあるが、あれが耐えられない。
横幅は狭くても天井が高い場合はなんとかなるとしても、
天井が低く這いつくばって通らなければならない場所など発狂しそうである。
映画「ダイハード」のように、通気口を匍匐前進するなど耐えられないから早く撃ってくれってなもんだ。
 
実は検査前の問診票に「閉所恐怖症ではありませんか」という設問があるのだが、
検査が受けられず治療方針が立たなくなっても困るので、思案した挙句、無いということにした。
 
当然のことながら、問診票にそう書いたからといって恐怖症が無くなる訳もない。
とにかく目を閉じて、検査の間中ひたすら「ここは工事現場近くの原っぱ,原っぱ」と暗示をかけていた。
それでも予想以上に心臓がバクバクで我ながら情けなかったのである。
このバクバクで画像がブレているのではないかと疑ったくらいだ。
 
検査の結果は予想通り、椎間板が左足に続く神経を圧迫しているよう。
但し担当の医師によれば、それほど重度の状態ではなく中程度なので、
手術せずとも当面薬で炎症を抑えれば痛みは収まるだろうとのこと。
まずは良かったというべきなのだが、それでもしばらくは痛みで不自由な思いをせねばなるまい。
 
この座骨神経2のために、3ヶ月程前から続けていた腹筋などの筋トレが出来なくなっている。
とりあえずアイソメトリックのような、動かさずに負荷をかける方法を当面続けることにした。
 
本来ならあと1週間先に迫った運動会で筋トレの成果を披露出来たのだが、実に残念である。
全く休んでしまうのも何なので、老人向けともいえそうなゆるい競技には参加することにした。
 
なんとも情けないことになったのお、ばあさんや。まったく年はとりたくないもんじゃ。
 

見かけ倒しのチョコレート腹筋はいらない。2012/07/20

見かけ倒しのチョコレート腹筋はいらない。
10日程前から筋トレを始めた。
 
以前から体力の低下にまつわる話を書いてきたが、
嘆いてばかりもいられない。
家族も守れそうもない肉体とは決別の時である。
 
思い立ったが吉日という訳ではないが、
私の場合、こういうことを唐突に始めることが多い。
 
取り敢えず、腹筋と背筋,腕立て伏せを
それぞれ20回ずつの1セットから始めた。
 
長年マウスより重い物を持ったことがないという、
ひどい運動不足の生活を送ってきたために、
たったこれだけでも息が上がってしまう。
 
心肺機能がもう少し戻ってきたらセット数を増やし、さらにスクワットと懸垂を追加するつもりだ。
スクワットはともかく懸垂は鉄棒がないと始まらない。手頃な鴨居もない我が家、どうしたものか。
こんなことなら、ぶら下がり健康器でも買っておけば良かった。
埃を払ってハンガーと衣類をとれば鉄棒の出来上がりだからな。(当然ながら放置している前提)
 
もちろん、フィットネスクラブやスポーツジムに行けば各種器具も揃っていて言うことないのだが、
ある程度体力がついてからでないとちと恥ずかしいので、安上がりだし当分はこれでいこうと思っている。
 
実はスポーツや筋肉トレによる筋肉痛は嫌いではない。なんとも言えぬ充実感が感じられるからである。
それでもとことん体力が無くなるまで長年トレーニングの類いを怠ってきたのは、
仕事柄と生来の面倒臭がりが主な理由だが、筋トレによって体型が変わってしまうのも気になっていた。
 
私はもともと筋肉がつきやすいタイプで、
スポーツをやっていた学生時代は、穿けるパンツも限られるほど太腿が太かった。
当時はジャージはオシャレで着るものではなく、普段着られる服がほとんど無かったのだ。
今は当時のようにストイックに鍛え上げる訳ではなく、加減しながらなのでまだ救いがある。
 
最近は脂肪で形成した、なんちゃってチョコレート腹筋もあるらしいが、何の意味があるのかわからん。
私が彫像のような本物の腹筋と背筋を手に入れた暁には、街に颯爽と飛びだそうか。
もちろん服の上からでは分からないので、腹を出してアピールしながら街を歩くことになる。
そして例によって警官に呼び止められるのだ。「また、あんたか。」
 
このブログ内では何回職務質問にあったことやら。
 
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