煮しめと吉備団子が大好物です。 ― 2012/04/30
日本三名園のひとつ、岡山後楽園に行ってきた。
前日に人と面会したついでに立ち寄ったので、
わざわざ出かけたのではないのだが、
それでも価値が損なわれる訳ではあるまい。
有名な庭園なのでご存知の方も多いと思うが、
広大な敷地に池や花木が広がっており、
庭園というよりは、むしろ公園の趣である。
幸い旅行期間中、天気にも恵まれ、
四月とはいえ暑いくらいの陽気だった。
東屋でゆっくりとしていると、心地よい風も吹き、
日常の忙しなさが嘘のようである。
旭川を渡って烏城の別名もある岡山城にも足を運んだが、
鉄筋コンクリート造の天守にどれほどの価値があるのか分からん。
「烏城って烏賊に似てるな」とか、くだらないことをぼんやり考えたくらいで。
金沢の兼六園にはずいぶん以前ではあるが行ったことがあるので、
これで三名園で残すは水戸の偕楽園のみとなった。
むろんスタンプラリーでもなく、コンプリートしたからといって何か貰える訳もない。
「おめでとうございます!コンプリート達成です。賞品は三名園もう一周!」とか。
もっとも正直なところ、余程の「ついで」がなければ偕楽園に足を伸ばすことはないだろうと思われる。
ところでこの数日前、新しい靴を買ったのであるが、慣らしもせずにいきなりこの旅行に履いてしまった。
不用意ではあったが、多少窮屈だったくらいで靴擦れなどはできなかったのは幸い。
靴はアウトドアブランドMERRELLの製品で、爪先が安全靴っぽいWORLD RAMBLER DARK EARTH。
いつものウォーキングシューズとは少し履き心地が違い、
クッションがやや固いので、足首の関節や甲に負荷がかかって、平地の長歩きは少し疲れた。
ただ以前にも書いたが、私は新品のピカピカの靴を履くのが取り敢えず嫌なので、
家族から「煮しめたような」色だと言われようが、その風合いが結構気に入っている。
その家族はといえば、帰りの岡山駅で友達三人へのお土産として、吉備団子を3つ買っていた。
きっと家来にするつもりに違いない。
岡山駅前には葱坊主のような噴水の隣に、犬・猿・雉のお供を連れた桃太郎の銅像があるが、
遠くを見ようと桃太郎が目の上にかざした手に、家来になる気はさらさら無さそうな鳩がとまっていた。
さあて、果して友達は犬か猿か雉か、あるいは鳩か、はたまた桃太郎か。まさか鬼じゃないだろうな。
前日に人と面会したついでに立ち寄ったので、
わざわざ出かけたのではないのだが、
それでも価値が損なわれる訳ではあるまい。
有名な庭園なのでご存知の方も多いと思うが、
広大な敷地に池や花木が広がっており、
庭園というよりは、むしろ公園の趣である。
幸い旅行期間中、天気にも恵まれ、
四月とはいえ暑いくらいの陽気だった。
東屋でゆっくりとしていると、心地よい風も吹き、
日常の忙しなさが嘘のようである。
旭川を渡って烏城の別名もある岡山城にも足を運んだが、
鉄筋コンクリート造の天守にどれほどの価値があるのか分からん。
「烏城って烏賊に似てるな」とか、くだらないことをぼんやり考えたくらいで。
金沢の兼六園にはずいぶん以前ではあるが行ったことがあるので、
これで三名園で残すは水戸の偕楽園のみとなった。
むろんスタンプラリーでもなく、コンプリートしたからといって何か貰える訳もない。
「おめでとうございます!コンプリート達成です。賞品は三名園もう一周!」とか。
もっとも正直なところ、余程の「ついで」がなければ偕楽園に足を伸ばすことはないだろうと思われる。
ところでこの数日前、新しい靴を買ったのであるが、慣らしもせずにいきなりこの旅行に履いてしまった。
不用意ではあったが、多少窮屈だったくらいで靴擦れなどはできなかったのは幸い。
靴はアウトドアブランドMERRELLの製品で、爪先が安全靴っぽいWORLD RAMBLER DARK EARTH。
いつものウォーキングシューズとは少し履き心地が違い、
クッションがやや固いので、足首の関節や甲に負荷がかかって、平地の長歩きは少し疲れた。
ただ以前にも書いたが、私は新品のピカピカの靴を履くのが取り敢えず嫌なので、
家族から「煮しめたような」色だと言われようが、その風合いが結構気に入っている。
その家族はといえば、帰りの岡山駅で友達三人へのお土産として、吉備団子を3つ買っていた。
きっと家来にするつもりに違いない。
岡山駅前には葱坊主のような噴水の隣に、犬・猿・雉のお供を連れた桃太郎の銅像があるが、
遠くを見ようと桃太郎が目の上にかざした手に、家来になる気はさらさら無さそうな鳩がとまっていた。
さあて、果して友達は犬か猿か雉か、あるいは鳩か、はたまた桃太郎か。まさか鬼じゃないだろうな。
図鑑が好きな家族ってどうですか? ― 2011/09/30
先日、店内にブランコがある風変わりな店に行った。
ビルの地下にあるその店に降りる階段に、
干涸びた十数匹のミミズが、
折れ曲がって錆びた釘のごとく散らばっていたのだ。
閉鎖された階段ではなくオープンな形になっているが、
あたりに広い土の空間も見当たらず、
ミミズの発生源が分からない。
ここはひとつ例によって謎解きの考察を…
と思ったが、
前回あまりの内容の無さに、読んだ家族から
「私の1分間を返せ」と言われたのを思い出した。
ま、それが狙いだったのだが、
あんまりなので今回はもう少しまともな話にする。
件の店は、ほのかにカレーやらタンドリーチキンやらの匂いが漂っていた。
それほど広くはないが、いわゆる自然派カフェ、自然派レストランといったところか。
太い梁や板張りの壁や床、いくつかのブロックの仕切りと兼用になっている木製の本棚、
またそこに並べられている本や絵本も、自然を意識したものが揃っていた。
テーブルの上にはご丁寧に籠に盛った松ぼっくりという、まあ、子ども連れも狙ったそちら系の店である。
ブランコは3人掛けくらいのベンチタイプで、天井近くの太い梁からぶら下がっている。
座面の四隅が四本の太いロープで繋がっているので、
少し揺らすのが精一杯で大きく漕ぐのはさすがに無理。もちろんできたとしても大迷惑なだけだが。
本棚には「日本どんぐり大図鑑」なるものがあった。カラー150ページ以上の大型本である。
価格もそれなりにするこんなマニアックな本を、一体どれだけの人間が買うのだろう。
私が心配することではないが、はたして出版費用を回収することができるのか謎だ。
学校や図書館以外の個人の需要が疑問視される、こういった図鑑を時々見かけるが、
何年もかけて売るのか、あるいは何処かの団体から資金が出てるのか。
もっとも、私も嫌いじゃないし一緒に行った図鑑好きの私の家族は妙に食いついてはいたが。
ここまで書いて気がついた。
あのミミズは自然派を意識したこの店の演出なのではなかったか。
つまり毎朝、店主がどこからか調達してきたミミズを階段にバラまいているという訳だ。
無機質なビルの階段では味気なかろうと、店に足を踏み入れる前からの演出である。
そういえば近くに釣りエサのミミズを売ってそうな釣具店があったような…
土を少し掘ればいっぱいミミズのいそうな神社が近所にあったような…。
う~む、今回も時間泥棒の誹りは免れんだろうな。
ビルの地下にあるその店に降りる階段に、
干涸びた十数匹のミミズが、
折れ曲がって錆びた釘のごとく散らばっていたのだ。
閉鎖された階段ではなくオープンな形になっているが、
あたりに広い土の空間も見当たらず、
ミミズの発生源が分からない。
ここはひとつ例によって謎解きの考察を…
と思ったが、
前回あまりの内容の無さに、読んだ家族から
「私の1分間を返せ」と言われたのを思い出した。
ま、それが狙いだったのだが、
あんまりなので今回はもう少しまともな話にする。
件の店は、ほのかにカレーやらタンドリーチキンやらの匂いが漂っていた。
それほど広くはないが、いわゆる自然派カフェ、自然派レストランといったところか。
太い梁や板張りの壁や床、いくつかのブロックの仕切りと兼用になっている木製の本棚、
またそこに並べられている本や絵本も、自然を意識したものが揃っていた。
テーブルの上にはご丁寧に籠に盛った松ぼっくりという、まあ、子ども連れも狙ったそちら系の店である。
ブランコは3人掛けくらいのベンチタイプで、天井近くの太い梁からぶら下がっている。
座面の四隅が四本の太いロープで繋がっているので、
少し揺らすのが精一杯で大きく漕ぐのはさすがに無理。もちろんできたとしても大迷惑なだけだが。
本棚には「日本どんぐり大図鑑」なるものがあった。カラー150ページ以上の大型本である。
価格もそれなりにするこんなマニアックな本を、一体どれだけの人間が買うのだろう。
私が心配することではないが、はたして出版費用を回収することができるのか謎だ。
学校や図書館以外の個人の需要が疑問視される、こういった図鑑を時々見かけるが、
何年もかけて売るのか、あるいは何処かの団体から資金が出てるのか。
もっとも、私も嫌いじゃないし一緒に行った図鑑好きの私の家族は妙に食いついてはいたが。
ここまで書いて気がついた。
あのミミズは自然派を意識したこの店の演出なのではなかったか。
つまり毎朝、店主がどこからか調達してきたミミズを階段にバラまいているという訳だ。
無機質なビルの階段では味気なかろうと、店に足を踏み入れる前からの演出である。
そういえば近くに釣りエサのミミズを売ってそうな釣具店があったような…
土を少し掘ればいっぱいミミズのいそうな神社が近所にあったような…。
う~む、今回も時間泥棒の誹りは免れんだろうな。
羊に食べられてしまったに違いない。 ― 2011/07/30
長らくバオバブの成育について書いてなかったが、
実は残念なことになっていたのだ。
この木は落葉樹で、冬には葉が全て落ちてしまう。
それでも毎年春から初夏にかけて葉が繁り始めるので、
油断していたのが間違いのもとであった。
2本とも初夏を迎える時になっても
枯れ木のままなのである。
実際1本は完全に枯れてしまって、
根元から腐るように倒れてしまった。
ところが、両方とも完全に諦めていたところ、
これまで成育では遅れを取っていた方が、
突如復活して芽吹いてきたのだ。
こうなると我が家の最上階で強い日差しを浴びて瞬く間に葉が茂ってきた。
やれやれ一安心。
たった1本となったしまったものの、これは一種の縁起物としての意味も持たせて植えたので、
とりあえず枯れずに残ったのは良かった。
画像は今は亡きロゴマークを身に付け枝に引っかかった日航機とともに撮影したものである。
いつぞやの画像と比べると変遷や成長がお分かりかと思う。
以前にも書いたが、やはり越冬がこの木の成育の正否を握っている。
アフリカの大地であれば、それほど問題ではないのだろうが、温暖化が進んだとはいえここは日本。
僅かな気の弛みが命取りになることを痛感した。
それにしても、やはり私は園芸には向いてないのであろうか。
いつかは家庭菜園などやろうと思っていたのだが、無謀な計画なのかもしれぬ。
バオバブの実でジュースなど夢のまた夢か。
いやいや、ここで諦めてはジュースどころかまた枯らしてしまいそうだ。
ガンバレ、バオバブ。ガンバレ、私の家族。…え?
実は残念なことになっていたのだ。
この木は落葉樹で、冬には葉が全て落ちてしまう。
それでも毎年春から初夏にかけて葉が繁り始めるので、
油断していたのが間違いのもとであった。
2本とも初夏を迎える時になっても
枯れ木のままなのである。
実際1本は完全に枯れてしまって、
根元から腐るように倒れてしまった。
ところが、両方とも完全に諦めていたところ、
これまで成育では遅れを取っていた方が、
突如復活して芽吹いてきたのだ。
こうなると我が家の最上階で強い日差しを浴びて瞬く間に葉が茂ってきた。
やれやれ一安心。
たった1本となったしまったものの、これは一種の縁起物としての意味も持たせて植えたので、
とりあえず枯れずに残ったのは良かった。
画像は今は亡きロゴマークを身に付け枝に引っかかった日航機とともに撮影したものである。
いつぞやの画像と比べると変遷や成長がお分かりかと思う。
以前にも書いたが、やはり越冬がこの木の成育の正否を握っている。
アフリカの大地であれば、それほど問題ではないのだろうが、温暖化が進んだとはいえここは日本。
僅かな気の弛みが命取りになることを痛感した。
それにしても、やはり私は園芸には向いてないのであろうか。
いつかは家庭菜園などやろうと思っていたのだが、無謀な計画なのかもしれぬ。
バオバブの実でジュースなど夢のまた夢か。
いやいや、ここで諦めてはジュースどころかまた枯らしてしまいそうだ。
ガンバレ、バオバブ。ガンバレ、私の家族。…え?
七羽の子か七歳の子か、あるいは七人のアレか。 ― 2011/06/25
どういう訳かこのところ、
急激に近所にカラスが増えてきたのだ。
窓からざっと見渡しても
家の周囲に20羽以上いることはざらである。
私でなくとも往年のサイコサスペンス映画、
ヒッチコックの「鳥」を連想してしまうだろう。
以前はこんな事はなかった。
見かけてもせいぜい1羽2羽である。
よく都会ではカラスが増えて云々とか聞くが、
他所の話で実感が湧かなかったのだ。
むろん、鳩や雀が何十羽いても
それほど気にしないのだろうが、
カラスとなると悪いが話は別である。
鳥の種類によって差別するつもりはなくとも、
近々ご近所に不幸でもあるのだろうか、などと、悪魔の使いのごとく何の根拠も無く考えてしまう。
先日、家のそばで自治体指定の黄色いゴミ袋をカラスが漁ってるところを見かけた。
どうやら、カラスの目にはよく見えないとされた黄色いゴミ袋を識別できるようになったようだ。
都会暮らしのカラスの能力の進化は凄まじいものがあるらしいので、
食料事情が変わったための大発生だと思われる。
とすれば、もはや新しい能力を身につけた彼らがこの町を去るとは考えにくく、
これから先、ずっと彼らとつき合わなければならないようである。
もともと恐竜の末裔との説も有力な彼らの潜在能力の高さからすれば、
いったいどこまでの知能・能力を獲得するか、恐ろしいばかりだ。
いくら獲得形質は遺伝しないとはいえ、
田舎の柿の木の枝の上でのんびり鳴いている個体と同一種とは思えぬ程の活動を見せる彼らは、
やはり個体進化しているとしか思えないではないか。
それにしても、夜中にまで窓の近くで野卑た声でグァーグァーと鳴かれると、
なんだか、ならず者に取り囲まれて風前の灯となった、
戦国時代の、あるいは西部劇の小さな町の住人の気分である。
人の顔も識別し覚えるらしいので、ヘタに敵にまわすと家族が襲われかねない。
どうか、せめて夜だけでも可愛い七つの子がある山に帰ってくれるよう、
夜中のあの鳴き声は隣の奥さんのイビキでありますよう、祈らずにはいられない。
急激に近所にカラスが増えてきたのだ。
窓からざっと見渡しても
家の周囲に20羽以上いることはざらである。
私でなくとも往年のサイコサスペンス映画、
ヒッチコックの「鳥」を連想してしまうだろう。
以前はこんな事はなかった。
見かけてもせいぜい1羽2羽である。
よく都会ではカラスが増えて云々とか聞くが、
他所の話で実感が湧かなかったのだ。
むろん、鳩や雀が何十羽いても
それほど気にしないのだろうが、
カラスとなると悪いが話は別である。
鳥の種類によって差別するつもりはなくとも、
近々ご近所に不幸でもあるのだろうか、などと、悪魔の使いのごとく何の根拠も無く考えてしまう。
先日、家のそばで自治体指定の黄色いゴミ袋をカラスが漁ってるところを見かけた。
どうやら、カラスの目にはよく見えないとされた黄色いゴミ袋を識別できるようになったようだ。
都会暮らしのカラスの能力の進化は凄まじいものがあるらしいので、
食料事情が変わったための大発生だと思われる。
とすれば、もはや新しい能力を身につけた彼らがこの町を去るとは考えにくく、
これから先、ずっと彼らとつき合わなければならないようである。
もともと恐竜の末裔との説も有力な彼らの潜在能力の高さからすれば、
いったいどこまでの知能・能力を獲得するか、恐ろしいばかりだ。
いくら獲得形質は遺伝しないとはいえ、
田舎の柿の木の枝の上でのんびり鳴いている個体と同一種とは思えぬ程の活動を見せる彼らは、
やはり個体進化しているとしか思えないではないか。
それにしても、夜中にまで窓の近くで野卑た声でグァーグァーと鳴かれると、
なんだか、ならず者に取り囲まれて風前の灯となった、
戦国時代の、あるいは西部劇の小さな町の住人の気分である。
人の顔も識別し覚えるらしいので、ヘタに敵にまわすと家族が襲われかねない。
どうか、せめて夜だけでも可愛い七つの子がある山に帰ってくれるよう、
夜中のあの鳴き声は隣の奥さんのイビキでありますよう、祈らずにはいられない。
我が鳴き竜よ、深く静かに眠れ。 ― 2011/05/25
火の用心に熱心なこの町内も、
高齢化の波には勝てなかったようだ。
先日回って来た回覧板によると、
今後、火の用心の夜回りは廃止することになった。
どうやら町内の高齢化によって、
各家庭に負担がかかり過ぎ、
これ以上維持できなくなったらしい。
確かにこの町内の平均年齢の高さは群を抜いている。
運動会は町内会対抗で行われているのだが、
昨年も一昨年もその事を痛感した。
なにしろ私がむしろ若手に入るくらいだから
後は推して知るべしなのである。
50日くらいに一度は我が家にも夜回りの順番が回って来ていた。
行われている間は、「またか」「回って来るの早くね?」「面倒くさいなあ」くらいに思っていたのが、
いざ廃止となってしまうと、寂しいと感じてしまうのだから勝手なものだ。
というのも、夜回りルートの途中に小学校の校舎と住宅に挟まれた道があって、
ここで、いわゆる「鳴き竜」が聴けたのだ。
日光東照宮の薬師堂などで聴くことができる鳴き竜は、フラッター・エコー現象の代表的な例である。
もっとも、我が町内の竜は日光の鈴鳴きと称されるような上品な竜ではない。
飼いならされていない、いわば「野良竜」のような鳴き声である。
火の用心の拍子木を、その僅か数メートルの範囲で打つと、ビリビリとした鳴き声が響き渡る。
あの音が聴けないとなると俄然寂しくなってきたのだ。
いっそ個人的にボランティアで火の用心の夜回りを続けてみようかなどと考えてみた。
おお、そうすれば毎晩あの音が聴けるではないか。
しかし近所の人間にとっては今まで耳障りなだけだったのやも知れず、
廃止になった筈なのに、誰だ!竜を起こした奴は!となりかねない。
火の用心の夜回りという善行なのだから良いではないかとは言えまい。
前回、善は微に入り細にわたって行わねばならないと書いたばかりではないか。
しかも私の場合は善行はただの隠れ蓑で、鳴き竜が聴きたいというのが本音なのだから質が悪い。
やはり我が野良鳴き竜には深く静かに眠ってもらおう。
最近やたら家族に勧められる私のアンチエイジングが成功して、町内の若返りに貢献する日まで。
高齢化の波には勝てなかったようだ。
先日回って来た回覧板によると、
今後、火の用心の夜回りは廃止することになった。
どうやら町内の高齢化によって、
各家庭に負担がかかり過ぎ、
これ以上維持できなくなったらしい。
確かにこの町内の平均年齢の高さは群を抜いている。
運動会は町内会対抗で行われているのだが、
昨年も一昨年もその事を痛感した。
なにしろ私がむしろ若手に入るくらいだから
後は推して知るべしなのである。
50日くらいに一度は我が家にも夜回りの順番が回って来ていた。
行われている間は、「またか」「回って来るの早くね?」「面倒くさいなあ」くらいに思っていたのが、
いざ廃止となってしまうと、寂しいと感じてしまうのだから勝手なものだ。
というのも、夜回りルートの途中に小学校の校舎と住宅に挟まれた道があって、
ここで、いわゆる「鳴き竜」が聴けたのだ。
日光東照宮の薬師堂などで聴くことができる鳴き竜は、フラッター・エコー現象の代表的な例である。
もっとも、我が町内の竜は日光の鈴鳴きと称されるような上品な竜ではない。
飼いならされていない、いわば「野良竜」のような鳴き声である。
火の用心の拍子木を、その僅か数メートルの範囲で打つと、ビリビリとした鳴き声が響き渡る。
あの音が聴けないとなると俄然寂しくなってきたのだ。
いっそ個人的にボランティアで火の用心の夜回りを続けてみようかなどと考えてみた。
おお、そうすれば毎晩あの音が聴けるではないか。
しかし近所の人間にとっては今まで耳障りなだけだったのやも知れず、
廃止になった筈なのに、誰だ!竜を起こした奴は!となりかねない。
火の用心の夜回りという善行なのだから良いではないかとは言えまい。
前回、善は微に入り細にわたって行わねばならないと書いたばかりではないか。
しかも私の場合は善行はただの隠れ蓑で、鳴き竜が聴きたいというのが本音なのだから質が悪い。
やはり我が野良鳴き竜には深く静かに眠ってもらおう。
最近やたら家族に勧められる私のアンチエイジングが成功して、町内の若返りに貢献する日まで。

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