まさかの頭文字(イニシャル)R2019/04/30

まさかの頭文字(イニシャル)R
平成から令和へ、
このビッグウエーブに乗り遅れるな!
という訳でもないのだが、
一つの区切りとして平成最後の日に何か記しておく。
 
日記から年記に切り替えたのではなかったのか?
と思われたあなた、まあこれは平成最期の記事、
いわば元号記とでも解釈して頂きたい。
いや、そもそも年記というのは言い訳で、
本当は頻繁に更新したいのは山々なんだが。


いよいよ新元号に改元である。
令和の決定には音の響きも重要な要素だったと聞いた。
確かにスッキリとして新時代にふさわしい響きである。
それに比べ、漏れ伝えられる他候補の語呂の悪いこと。
「万保」とかどういうつもりでリストに挙げたのかと思えるものもあった。
「ばんぽうがんねん」とかお前それマジで言ってんの、である。
おそらくは候補を作る先生方は学者であって、詩人でも歌人でもないので、字の意味しか考えないのだろう。
もし伝えらるように当初令和がなかったとしたら、私でも追加候補を要求するだろう。
人名もそうだが、名前などついてしまえばその意味はすぐに消えてしまい、音の響きだけが残るものである。
 
平成の時は「平」が個人的にはちょっと平安時代を連想して、新しさはさほど感じなかったが、
万保のような胃もたれ感はなくさらっと使いやすいとは感じた。
平成は名とはウラハラに厳しいことも多い時代であった。
令和という新しい御代がどのような時代になるか、楽しみでもあり、不安でもある。


さて、昔このブログで高校の同窓会に出席した話を書いた。
10年後に再度開催の旨がアナウンスされていた、その同窓会に数日前参加してきた。
 
その時の記事で今回の同窓会のことを予想して書いた覚えがある。
さすがに10年くらいではそう変化もなく、感慨深さもさほどあるまいと。
なんのなんの、以前不参加で会いたかった人にも会え、前回以上に旧交を温めることができたのである。
在学時や卒業後しばらくは赤面もののエピソードも、この歳になればバラシ放題ツッコミ放題で痛快なのだ。
しばらくはタイムスリップしたような非日常感に浮かれていたような気がする。
しかしまた日常に戻ってみると、あの催しが本当にあったのか疑わしいような気さえしてくるから不思議だ。
やはり遥かなる過去は過去、青春の残滓はまたもや凍結し、ロッカーの奥底に眠ることになるのだ。

 
高校時代は昭和真っ只中のことで、平成など丸ごと跨いでいる。
つまり、人生の実質的な活動期間がそっくり平成の30年間に当たる訳だ。
まだまだ隠居は先のつもりだが、それでも来たる令和の時代に終末に向けたスローダウンの時間がいずれくる。
新しい御代の参画者となりたくも、やはり傍観者として過ごすのだろうか。
 
ところで前回と同様10年後の同窓会開催のリクエストが上がっていた。
開催されるかどうか分からぬし、参加するかも微妙だが、
たとえ開催されても出席率より生存率を心配せねばなるまい。
会場は「冥土の間」やもしれん。

初恋の人でもないのに別な意味でドキドキした。2018/12/31

うっかり忘れるところだったが、ギリギリで踏みとどまり、
今年の年記を記すことにした。

去年の年記で触れていた、
中学の同窓会に年初に行った。
何しろ中学卒業以来一度も会ってない人も多く、
名前がなかなか思い出せない。
高校の同級生であればなんとなく
面影が残っていることがほとんどだし、
小学校からの同級生は馴染みの度合いが大きいからか、
これもまあ比較的容易にわかる。
しかし中学の時のみの人だと
その後の顔の変わり様も大きく、

やっちまったのだ。

ある女子に「私、誰だか分かる?」と言われて答えられなかったのだ。
向こうはこちらが誰だかすぐに分かったようで、しどろもどろの私にブチ切れて「殺す!」とまで言われた。
しばらく後に思い出した学年一位だったその人に、適当なごまかしは通用しなかったのである。
そんなに親しくなかったじゃねーかと内心思いつつ、謝り倒したのが宴も半ばになってからだった。
きっと密かに私のことが好きだったに違いない、などと推理してみたがいかが。

さて、タイトル画像にあるように、車を買った。
昔から気に入っていたアルファロメオのジュリエッタである。
但し、新車は納期がかなりかかる上、欲しいカラーもなかったので、2013年型の中古である。
車のない生活が続いていたところ、去年どうしても車の必要性を感じて即納車が条件の一つだったのだ。
1400ccターボ170馬力で基本性能はまずまず。
私のクルマ選びの基準は、走る・止まる・曲がるなどの基本走行性能がある程度のレベルにあれば、
最近ハヤリのハイブリッドや自動運転などは2の次3の次、何は無くともデザイン、造形なのだ。
日本車は勿論、欧州車でもデザインはとにかく画一的でつまらなくなってる。
ヘッドライトは平行四辺形の、家族に言わせると「怒ってる」ような顔で、
これまた厳ついグリルと組み合わせて一丁上がり、てな具合だ。

私の好みのデザインの車は全世界全メーカーで4車種。ジュリエッタの他は全てポルシェで、
流石に手が出しづらいし、大きな車ばかりなので持て余すだろう。
だからこれ一択なのである。
そのジュリエッタも近々あるモデルチェンジでは、ジュリアのような顔つきになるようで、
そうなると、買い替えもないかなと思っている。
いずれにせよ中古とはいえお気に入りの車に乗れて、今年はニヤニヤしているのだ。
家族も気に入っていて、それもホッとするポイントである。

2012ごろに出たこの車のムック本を持っているくらいなので、初恋でもないが思い入れはある。
思い入れがさほど無かった同窓の女子の名前はさっぱり思い出せなかったが、
そのことを怒っていた彼女にとって私の方がジュリエッタだったのかも知れない。
とキモいことを言って今年の最後のオチとします。…いいのか。

新元号となる2019年が皆様にとって実り多い年でありますように。

100年記を執筆中です。なお完結はしない模様。2016/12/31

100年記を執筆中です。なお完結はしない模様。
とりあえず生存報告。
ここまで更新しないと
照れ隠しに日記代わりなどと言っていられん。
これからは「年記」とでも称するしかないか。
「いやー、ブログやってんすよ。
ま、年記代わりみたいなもんすけどね」
などと使います。
 
10年前から5年前くらいまでは
初めての経験が続いたこともあってか、
時の経つのが遅い気がしていたのだが、
いざ10年経ってみるとあっという間だったというのが
現在の正直なところである。
考えてみれば人生せいぜい100年足らずなのだから、
10年があっという間に過ぎては堪らんわけで、
あっという間を数回繰り返すだけでお仕舞いではないか。
これではいかんと何かしら人生を濃密にする活動をせねばと思えど、
劣化し萎んだ脳細胞はエンストを起こすばかりである。
とまあ、例によって自虐的なことを書いて字数を稼いでいるのがバレそうなので、多少まともな話を。

今年はオリンピックイヤーでもあった。
日本人選手の活躍もあり楽しめたし、また閉会式の東京オリンピックパフォーマンスも話題になった。
東京オリンピックといえばエンブレム公募に私が応募したかどうか覚えている方もいるかもしれない。
応募は確かにしたのだが、ご承知のように採用されたのは私の作品ではない。
それどころか採用作品をみればそもそも私が応募した作品が受かるはずがなかった。
おそらく早い段階で落とされたのではないか。
時間がなく完成度を上げきれたか微妙ではあったが、もし最終候補に残ったとしても、
どなたかが指摘されていたごとく他3作品と同様、当て馬にされるのが精一杯だったろう。
そのくらい選考委員、特に専門家の選考基準と乖離していた。まあ、仕方がない。
もはや何が受けるかわからん。年賀状もやり過ぎを反省して、普通のものにした。いいのかこれ。

オリンピックに影響されたわけではないが、秋口から筋トレをまた始めた。
筋トレ用のマットと水を入れて使うダンベル、のちには筋トレ用のゴムまで購入してまずは形から。
腹筋・背筋・腕立て伏せはもちろん、スクワットやその他の筋肉運動をほぼ毎日行っている。
近頃は心なしか体が一回り大きくなってきたようにも感じるが、
私の目的はボディビルドではないし、もちろんダイエットでもない。
とにかく体力をつけることと、怪我しない体を作りことである。
体力といっても何キロかダラダラ走れる体力があってもしょうがない。
当面の目標は200m全力疾走である。無酸素でどれくらい運動できるか、これが目指すところだ。
年明けから全力疾走を何本か織り交ぜたインターバル走でも始めようと思っていた。

昨日までは。

やっちまったのだ。 またしても腰痛。大掃除で腰を痛めてしまった。
慣れない姿勢で窓拭きなんぞしたのが祟ったようだ。
怪我しない体作りでもあった筈だったが、知らず知らずのうちに疲労が溜まっていたのかもしれない。
いずれにせよ当分は筋トレ中止。正月も休息というか下手すりゃ寝たきりで過ごさねばならんかもしれん。
まさしくトホホな状況だが、一つ分かったことがある。と言うより思い出したことというべきか。
やはり筋肉トレーニングで培った筋肉は所詮役に立たんということである。
本当に役立つ筋肉は現実の様々な動きの中で鍛えられるものだということ。
元々分かっていた筈なのに、筋トレというものは続けているとそれが目的化してしまって、
当初の思惑を忘れてしまいがちなのだと今回痛感した。
いずれ外でインターバル走など体を動かして鍛える、その準備段階の筋力増強だったのだが。

ともあれやっちまったものはしょうがない。
いずれ腰が回復すれば、今度はストレッチやランニングに重心を移して筋トレの比重を下げようと思う。
私の劣化し縮んだ億千万の脳細胞は戻らなくとも、体力は戻ると信じてやるしかない。
まあ、劣化し縮んだなどと言っているが、
実は使っていればいずれは脳細胞も復活するのではないかと、根拠もなく密かに思っていたりするのだ。
そう、私は元々超のつく楽天家なのである。人生100年足らずとはいえ、まだまだある。
年記と称してブログを書くのも逆に余裕の表れということで、前向きに捉えようではないか。

ここまで書いてもオチを全く思いつかんので、どう着陸しようか困っているのだが、
読み返すと最初の方で多少まともな話をなどと書いておきながら、やっぱりどうでもいい話だった。
という微妙なオチでどうですか、ダメですか。
やっぱり脳細胞の復活は無理だなこりゃ、割り切って脳も筋肉で置き換えることにするかな。
その方が100年記が完結しそうな予感がする。

良いお年を。

まだ星になった訳ではありません。2013/08/10

まだ星になった訳ではありません。
死亡説が出ているとウワサの当ブログにようこそ。
よくぞブックマークを消さずにおいでで。
 
まあ、社会的にはどうだか知らんが、
生物学的には間違いなく生存している。
リフレッシュしてきたおかげで元気そのもの、
薮でやけど虫にヤられた腕が痒いぐらいだ。
 
という訳で、仕事の締切もギリギリだというのに、
8日間の休みをとって田舎に行ってきた。
 
田舎という言い回しにしたのは、本当に田舎だからだ。
コンビニが無いとか、気の利いたカフェが無いとか、
田畑や山ばかりだとか、人がいないとか、
そんなことが田舎の基準ではない。
 
「携帯が繋がらない」 これである。
 
もちろん、docomoやauはバリバリ繋がる。softbankだけアンテナがピクリともしない。
よくもまあ、繋がりやすくなりましたなどと大口を叩けたもんだ。
もっともそのおかげで電話やメールに煩わされることもなく、夏休みを満喫できたのではあるが。
 
連日通った、プライベートビーチのような可愛らしい砂浜の波打ち際でパシャパシャやっていると、
おそらく夏休み中毎日ここで遊んでいると思われる、地元の少女に声をかけられた。
自分の泳ぎを見てくれとか、学校のプールは海水だとか、聞いていないことも人なつこく話してくる。
長い間海に浸かっていたためか唇がプルプル震えているのだが、
それでも「ちょっとうまくしゃべられないけど」などと言いながら話し続ける。
少し休んだらどうだと思いながら、ああ自分もそうだったかななどと己の少年時代に思いを馳せた。
 
ところで前にも書いたと思うが、最近の田舎の子どもは野山を駆け回って遊んだりはしないらしい。
藪の中に入るのを嫌がり、虫を怖がり、野山の果実を口にするなど何の興味も無いという。
キャンプや体験イベントなどで、積極的に自然に親しんでいる都会の子どもの方がよほど逞しそうである。
そういえば海以外で全く子どもを見かけなかった。携帯も碌に繋がらない家の中で何をしているのだろう。
件の天真爛漫な少女なら自然の中を駆け回っていそうだが、それとてこちらの勝手な思い込みに過ぎない。
 
こんなことを言っている私も、やけど虫の毒素にヤられた腕の痒みとミミズ腫れがひかず、
今日、診療所でステロイド剤の入った塗り薬をもらってきたばかりだ。
やっぱりもう自然の中には出ないで涼しく快適な部屋で夏中過ごすか、と手のひらを返してみる。
かつての少年も老いたということだな。
生まれつきオッサンの私に少年時代があったらの話だが。(家族談)
 

マシンガン・ダンディは付け髭だった2013/04/01

私はヒゲを生やしている。
鼻の下、いわゆる口髭というやつだ。
19歳の頃からだからかれこれウン十年にもなる。
 
経験のある方もおられるだろう、
男がヒゲを伸ばすきっかけというのは、
それほど大したことではない。
大抵は少し無精髭が伸びた時に、
気まぐれでそのまま伸ばすという場合が多いのである。
 
私の場合もご多分に漏れずそのクチなのだが、
生やしていない他人から見ると、
明確な意図を持って、オシャレしようと
色気を出していると思われるようである。
 
知人に「ダンディー」とか「男前」等と時折言われたりするのもそのためであろう。
長年の経験から考察すると、どうも口髭を生やしている場合はダンディー、
顎髭を生やしている場合はイケメンと言われるのではないか。
 
時々「なぜヒゲを伸ばしているのですか」と聞かれる。
ヒゲは放っておけば自然に伸びるので、剃るのに理由はいるかも知れないが伸ばすのに理由はいらない。
と言いたいところだが、こういうもの言いは人を不快にし、面倒くさいやつだと思われるので、
多少なりとも空気の読める私は現実には言わず、「なんとなくですよ」などと適当に答えている。
 
さて、そのダンディーなヒゲも寄る年波には勝てず、白髪が交じってきた。
エラいもので、頭髪に白髪が交じるよりヒゲに白髪がある方が、爺さん度が一挙に増すのである。
これはマズいと髪染めで染めてみるのだが、
経験のある方はお分かりと思う、ヒゲは頭髪より遥かに染まりにくいのである。
染まらないのでは意味がない。それならと強力に染めてみると黒々としすぎてしまい、
家族に「フレディー・マーキュリーか」と突っ込まれる始末である。
 
いっそ剃ってみてはどうかとあちこちで言われる。
しかし長年伸ばしていると愛着というか妙な執着もあり、その気になかなかなれない。
古い友人の中にはヒゲを私の愛称にしている者もいるのだ。
 
このヒゲのおかげで人に顔を覚えてもらえるし、今となってはトレードマークになっているので、
家族にフレディーと呼ばれようが生涯このままでいこうと思っている。
 
街で私を見かけた時は「ダンディー!」か「フレディ!」と声をかけてくれ。
「ダンディ」なら口笛を、「フレディ」ならタンクトップにタイツ姿をご披露しよう。…え!?
 
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