100年記を執筆中です。なお完結はしない模様。2016/12/31

100年記を執筆中です。なお完結はしない模様。
とりあえず生存報告。
ここまで更新しないと
照れ隠しに日記代わりなどと言っていられん。
これからは「年記」とでも称するしかないか。
「いやー、ブログやってんすよ。
ま、年記代わりみたいなもんすけどね」
などと使います。
 
10年前から5年前くらいまでは
初めての経験が続いたこともあってか、
時の経つのが遅い気がしていたのだが、
いざ10年経ってみるとあっという間だったというのが
現在の正直なところである。
考えてみれば人生せいぜい100年足らずなのだから、
10年があっという間に過ぎては堪らんわけで、
あっという間を数回繰り返すだけでお仕舞いではないか。
これではいかんと何かしら人生を濃密にする活動をせねばと思えど、
劣化し萎んだ脳細胞はエンストを起こすばかりである。
とまあ、例によって自虐的なことを書いて字数を稼いでいるのがバレそうなので、多少まともな話を。

今年はオリンピックイヤーでもあった。
日本人選手の活躍もあり楽しめたし、また閉会式の東京オリンピックパフォーマンスも話題になった。
東京オリンピックといえばエンブレム公募に私が応募したかどうか覚えている方もいるかもしれない。
応募は確かにしたのだが、ご承知のように採用されたのは私の作品ではない。
それどころか採用作品をみればそもそも私が応募した作品が受かるはずがなかった。
おそらく早い段階で落とされたのではないか。
時間がなく完成度を上げきれたか微妙ではあったが、もし最終候補に残ったとしても、
どなたかが指摘されていたごとく他3作品と同様、当て馬にされるのが精一杯だったろう。
そのくらい選考委員、特に専門家の選考基準と乖離していた。まあ、仕方がない。
もはや何が受けるかわからん。年賀状もやり過ぎを反省して、普通のものにした。いいのかこれ。

オリンピックに影響されたわけではないが、秋口から筋トレをまた始めた。
筋トレ用のマットと水を入れて使うダンベル、のちには筋トレ用のゴムまで購入してまずは形から。
腹筋・背筋・腕立て伏せはもちろん、スクワットやその他の筋肉運動をほぼ毎日行っている。
近頃は心なしか体が一回り大きくなってきたようにも感じるが、
私の目的はボディビルドではないし、もちろんダイエットでもない。
とにかく体力をつけることと、怪我しない体を作りことである。
体力といっても何キロかダラダラ走れる体力があってもしょうがない。
当面の目標は200m全力疾走である。無酸素でどれくらい運動できるか、これが目指すところだ。
年明けから全力疾走を何本か織り交ぜたインターバル走でも始めようと思っていた。

昨日までは。

やっちまったのだ。 またしても腰痛。大掃除で腰を痛めてしまった。
慣れない姿勢で窓拭きなんぞしたのが祟ったようだ。
怪我しない体作りでもあった筈だったが、知らず知らずのうちに疲労が溜まっていたのかもしれない。
いずれにせよ当分は筋トレ中止。正月も休息というか下手すりゃ寝たきりで過ごさねばならんかもしれん。
まさしくトホホな状況だが、一つ分かったことがある。と言うより思い出したことというべきか。
やはり筋肉トレーニングで培った筋肉は所詮役に立たんということである。
本当に役立つ筋肉は現実の様々な動きの中で鍛えられるものだということ。
元々分かっていた筈なのに、筋トレというものは続けているとそれが目的化してしまって、
当初の思惑を忘れてしまいがちなのだと今回痛感した。
いずれ外でインターバル走など体を動かして鍛える、その準備段階の筋力増強だったのだが。

ともあれやっちまったものはしょうがない。
いずれ腰が回復すれば、今度はストレッチやランニングに重心を移して筋トレの比重を下げようと思う。
私の劣化し縮んだ億千万の脳細胞は戻らなくとも、体力は戻ると信じてやるしかない。
まあ、劣化し縮んだなどと言っているが、
実は使っていればいずれは脳細胞も復活するのではないかと、根拠もなく密かに思っていたりするのだ。
そう、私は元々超のつく楽天家なのである。人生100年足らずとはいえ、まだまだある。
年記と称してブログを書くのも逆に余裕の表れということで、前向きに捉えようではないか。

ここまで書いてもオチを全く思いつかんので、どう着陸しようか困っているのだが、
読み返すと最初の方で多少まともな話をなどと書いておきながら、やっぱりどうでもいい話だった。
という微妙なオチでどうですか、ダメですか。
やっぱり脳細胞の復活は無理だなこりゃ、割り切って脳も筋肉で置き換えることにするかな。
その方が100年記が完結しそうな予感がする。

良いお年を。

まだ星になった訳ではありません。2013/08/10

まだ星になった訳ではありません。
死亡説が出ているとウワサの当ブログにようこそ。
よくぞブックマークを消さずにおいでで。
 
まあ、社会的にはどうだか知らんが、
生物学的には間違いなく生存している。
リフレッシュしてきたおかげで元気そのもの、
薮でやけど虫にヤられた腕が痒いぐらいだ。
 
という訳で、仕事の締切もギリギリだというのに、
8日間の休みをとって田舎に行ってきた。
 
田舎という言い回しにしたのは、本当に田舎だからだ。
コンビニが無いとか、気の利いたカフェが無いとか、
田畑や山ばかりだとか、人がいないとか、
そんなことが田舎の基準ではない。
 
「携帯が繋がらない」 これである。
 
もちろん、docomoやauはバリバリ繋がる。softbankだけアンテナがピクリともしない。
よくもまあ、繋がりやすくなりましたなどと大口を叩けたもんだ。
もっともそのおかげで電話やメールに煩わされることもなく、夏休みを満喫できたのではあるが。
 
連日通った、プライベートビーチのような可愛らしい砂浜の波打ち際でパシャパシャやっていると、
おそらく夏休み中毎日ここで遊んでいると思われる、地元の少女に声をかけられた。
自分の泳ぎを見てくれとか、学校のプールは海水だとか、聞いていないことも人なつこく話してくる。
長い間海に浸かっていたためか唇がプルプル震えているのだが、
それでも「ちょっとうまくしゃべられないけど」などと言いながら話し続ける。
少し休んだらどうだと思いながら、ああ自分もそうだったかななどと己の少年時代に思いを馳せた。
 
ところで前にも書いたと思うが、最近の田舎の子どもは野山を駆け回って遊んだりはしないらしい。
藪の中に入るのを嫌がり、虫を怖がり、野山の果実を口にするなど何の興味も無いという。
キャンプや体験イベントなどで、積極的に自然に親しんでいる都会の子どもの方がよほど逞しそうである。
そういえば海以外で全く子どもを見かけなかった。携帯も碌に繋がらない家の中で何をしているのだろう。
件の天真爛漫な少女なら自然の中を駆け回っていそうだが、それとてこちらの勝手な思い込みに過ぎない。
 
こんなことを言っている私も、やけど虫の毒素にヤられた腕の痒みとミミズ腫れがひかず、
今日、診療所でステロイド剤の入った塗り薬をもらってきたばかりだ。
やっぱりもう自然の中には出ないで涼しく快適な部屋で夏中過ごすか、と手のひらを返してみる。
かつての少年も老いたということだな。
生まれつきオッサンの私に少年時代があったらの話だが。(家族談)
 

マシンガン・ダンディは付け髭だった2013/04/01

私はヒゲを生やしている。
鼻の下、いわゆる口髭というやつだ。
19歳の頃からだからかれこれウン十年にもなる。
 
経験のある方もおられるだろう、
男がヒゲを伸ばすきっかけというのは、
それほど大したことではない。
大抵は少し無精髭が伸びた時に、
気まぐれでそのまま伸ばすという場合が多いのである。
 
私の場合もご多分に漏れずそのクチなのだが、
生やしていない他人から見ると、
明確な意図を持って、オシャレしようと
色気を出していると思われるようである。
 
知人に「ダンディー」とか「男前」等と時折言われたりするのもそのためであろう。
長年の経験から考察すると、どうも口髭を生やしている場合はダンディー、
顎髭を生やしている場合はイケメンと言われるのではないか。
 
時々「なぜヒゲを伸ばしているのですか」と聞かれる。
ヒゲは放っておけば自然に伸びるので、剃るのに理由はいるかも知れないが伸ばすのに理由はいらない。
と言いたいところだが、こういうもの言いは人を不快にし、面倒くさいやつだと思われるので、
多少なりとも空気の読める私は現実には言わず、「なんとなくですよ」などと適当に答えている。
 
さて、そのダンディーなヒゲも寄る年波には勝てず、白髪が交じってきた。
エラいもので、頭髪に白髪が交じるよりヒゲに白髪がある方が、爺さん度が一挙に増すのである。
これはマズいと髪染めで染めてみるのだが、
経験のある方はお分かりと思う、ヒゲは頭髪より遥かに染まりにくいのである。
染まらないのでは意味がない。それならと強力に染めてみると黒々としすぎてしまい、
家族に「フレディー・マーキュリーか」と突っ込まれる始末である。
 
いっそ剃ってみてはどうかとあちこちで言われる。
しかし長年伸ばしていると愛着というか妙な執着もあり、その気になかなかなれない。
古い友人の中にはヒゲを私の愛称にしている者もいるのだ。
 
このヒゲのおかげで人に顔を覚えてもらえるし、今となってはトレードマークになっているので、
家族にフレディーと呼ばれようが生涯このままでいこうと思っている。
 
街で私を見かけた時は「ダンディー!」か「フレディ!」と声をかけてくれ。
「ダンディ」なら口笛を、「フレディ」ならタンクトップにタイツ姿をご披露しよう。…え!?
 

風が吹けば誰かさんが儲かる。2013/02/23

風が吹けば誰かさんが儲かる。
始まりはiPhoneである。
家族が3年前に私と一緒に買ったiPhone4を落として、
裏面のガラスが割れてしまったのだ。
透明のケースに入れていたのだが、
逆にそれが全体に強い圧力になったのかも知れない。
 
2年過ぎているし、それならついでにと
私も一緒に新しいiPhone5に換えることにした。
ネットなどの写真では
背面は黒とグレーのツートンのように見えたので、
ちとダサいかなと思っていたのだが、
実機はグレーというよりはマットブラックで、
古い硯のような質感である。
思ったよりも高級感があり、
むしろモノリス風のこちらの方が私の好みに合う。
 
使い始めてみると、今度は逆にそれまでの4がひどく古臭いものに思えてきた。
以前書いたように、こころなしかスチームパンクなニュアンスが強調されてきたような感じなのだ。
 
さて、新しいガジェットを手に入れて多少浮かれていたのもここまでである。
いざ旧機種のバックアップから新機種に復元しようとすると、私の古いPowerMac G5ではできなかった。
Intelチップを積み最新のOSが必要であるらしい。
このままでは新機種を全く生かしきれないと悩んだ末、最新のMac Proに換えることにした。
 
使用中のMacは確かに古く色々問題が生じていたので、いずれは買い替える必要があったものの、
今年には全く新しい新世代のMacProが発売されるとの見通しがあったため、それまで待つつもりだった。
しかし背に腹は代えられない。
新世代機種を見越して今回は一番下のグレード、クアッドコアのMac Proを買った。
 
新しいマシンはSSDにも換装し完全64bit起動とも併せ、下位機種とはいえあらゆる動作が桁違いに速い。
もっと早くこれに換えておけば良かった。…と多少浮かれていたのもここまでである。
機種世代間の差が大きいためか、Adobe CSなどソフトの多くが正常に動かないのだ。
やむなくAdobe CS6のクラウドサービスにアップグレードした。
 
移行に伴う諸々の処理を一つずつ済ませて、やれやれと一息ついた。…と思ったのもここまでである。
これまでMac上で行ってきたFAXの送受信ができないことが判明した。
USBモデムが使えないためだが、旧機種をそのためにだけ運用するにはあまりにも嵩張る。
いまさらFAX器機を買うのもなんだし、レガシー技術をどんどん捨て去るAppleを呪っても仕方がない。
そこで、古い非力なMac Mini G4をヤフオクで安く落札した。これなら嵩張るまい。
Faxサーバとして現在絶賛稼働中である。
 
はじめはiPhoneを換えようと思っていただけなのに、マシン環境などを全部換えることになってしまった。
「風が吹けば〜」のように奇想天外に展開した訳ではないが、
坂道を転がり落ちるかの如く、次から次へ出費を伴う対策をとらなければならなかった。
結局儲かったのはどの局面でもAppleというオチである。
儲けている会社にさらに儲けさせるとは、私もなかなかお人好しよのうと自嘲するしかない。
なあに、この新しい環境で一儲けしてやる。…と思わずにはやってられない、くっそー。
 

残暑お見舞い申し上げます。2012/09/01

残暑お見舞い申し上げます。
多くのトラブルが続いたロンドンオリンピックも
日本選手の活躍もあって盛況のうちに終わり、
他の様々なイベントも終了。
いろんな意味で夏の終わりを感じるこの頃、
皆様いかがお過ごしでしょうか。
 
と言いたいところだが、
私にはまだまだ夏は終わりそうもなかった。
 
というのも、スタジオのエアコンが全く効かないのだ。
もともと調子は良くなかったのだが、
8月の上旬から殆ど動作しなくなった。
 
なにぶん古いエアコンなので
修理するのも費用がかかるだろうし、
特殊な取り付けを余儀なくされるので、買い替えとなるとどのくらいの出費になるか。
あれこれ迷っているうちにどんどん日が過ぎていった。
 
希に思い出したように冷風を吹き出しても、
こちらがそれに合わせて窓を閉めたのを見計らったように停止する。
きっと誰かがこっそり覗いてリモコン操作しているに違いない。
 
室内は製作用のマシンやらストレージやら、プリントサーバーにでかい出力機と、
電気ストーブさながらの発熱源が揃っており、まるで我慢大会会場のごとき様相を呈しているのだ。
一日のタオルの消費量は凄まじく、洗濯物の量が倍増した。
冷房をガンガン効かして、汗もかかずにいるよりは多少健康的なのかもしれぬが、
室内でだらだら汗をかいているのが果してどれだけ体に良いのか分からん。
 
ところが、ここ数日外気温が若干下がったせいか、エアコンが少しずつ効くようになってきた。
気温が下がってから冷房が効くのでは全く意味がないではないか。
 
夏の終わりといえば、8月中にこのエントリーを上げるつもりでいたのだが、
最近睡眠不足だった所為か寝てしまい、痛恨にも8月の記事がゼロになってしまった。
一夜漬けで夏休みの宿題を片付けようとして失敗した小学生が、始業式の朝に焦っているがごときである。
 
親に手伝ってもらった宿題の工作が、とても小学生の出来映えとは思える仕上がりになるという御愛嬌も、
この時期の風物詩となっている感がある。
親の方がその気になってしまい、むしろ子供が手を出そうとすると、払いのける勢いだったりする。
むろん教師の方も、普段の力量を把握している為に全てお見通しなのだが、
おそらくは家族関係の良好さを確認する為の宿題なのではないか。
 
もちろん私のこのブログの更新を親が手伝ってくれるはずもなく、また全く意味がないのだが、
もし更新した記事がこれまでとは比べられないほど素晴らしい出来だったとすれば、
ははぁ、家族関係は良好なんだなと思ってください。
 
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