私は、どちらかというと縄文系です。2013/12/31

私は、どちらかというと縄文系です。
ア~ガ~ マエバ~~ァアァ~~ァアァ~
クァシメ~ ヨイニケリ
 
いきなり失礼。
懐かしいなあと思いつつ
作業用BGMとして最近よく聞いているのが、
「Ghost in the Shell(攻殻機動隊)」の
「Ghost City」などの和風というか
アジアンテイストなアレンジの楽曲である。
 
当時の攻殻機動隊(劇場版)の海外での高評価も、
こういった音楽が一役買っていたのではないか。
その数年前に制作された
「AKIRA 」も海外での評価が高い。
これも芸能山城組の曲など、
和風テイストの曲が使われていたのを懐かしく思い出した。
「AKIRA」といえば2020年の東京オリンピックを予言していたと話題になったりもしたな、
と一応今年を振り返ってみる。
 
閑話休題。(どっちも閑話だが)
そういう気分を反映して「神々の詩」など「姫神」もよく聞いている。
昔テレビのドキュメンタリー番組のテーマ曲に使われたので、懐かしく思われる方も多いだろう。
 
歌詞の古語や縄文語とされる言葉がどの程度正確か分からぬが、
独特の発声・合唱スタイルと相まって、懐かしいような、異世界に迷い込んだような感覚を覚える。
 
この懐かしいような感覚はどこからくるのだろうか。
なにしろその昔初めて聴いた時ですら懐かしい感じがしたのだから、曲の記憶によるものではない。
童謡や民謡等にも共通する何らかの音楽的ファクターがあるのだろう。
まさか民族の遺伝子に刻まれている訳ではあるまい。
そういえば、日本の民謡や演歌などをアフリカ人に聴かせてもかなり共感を得るらしい。
民族をも超えた人類共通の、音楽というものの核ともいえる部分が含まれているのかもしれない。
しばらくこのマイブームは続きそうである。懐かしさついでに喜太郎なども聴いてみようか。
 
実は上記のような音楽の他にもう1つ嵌っている音楽があるのだが、
これはおそらく、お前がそれ聴くの?と意表をつくと思われ、ちと恥ずかしいので明らかにしない。
あ、アルファベット3文字+数字とかのあっち方面ではない、念のため。
 
個人的にはネガティブなことが多かった今年も、あっという間に過ぎ去りとうとう大晦日。
最も更新できなかった年であったが、来年もよろしく。
 
アバ ナガ ビンセイ
アバ クロキ コロモボ コノミブム
 
(「謡Ⅱ -Ghost City-」作詞 川井憲次)
(「神々の詩」作詞 星吉昭)

今年もつま先立ちの一年となりそうな予感。2013/01/28

今年もつま先立ちの一年となりそうな予感。
私がバレエ観劇などというと
とんでもないと思われる向きも多いだろう。
 
ところが仕事の関係もあり、
意外にもバレエとは繋がりがあったりするのだ。
という訳で先日、
取引先の方の招待で珍しく劇場に足を運んだ。
キエフバレエのニューイヤーコンサートである。
 
若手のダンサーを中心とした構成で、
「くるみ割り人形」第2幕、「白鳥の湖」第2幕という、
有名どころの演目である。
 
ウクライナやキエフ市との友好交流を進めてきた
日本のバレエ団のソリストや教室の子供たちも出演し、
公演としても国際交流としても意義深かったのではないか。
 
だが劇場まで慣れないルートでの移動だったため、開演に遅刻してしまった。
当然こういった公演では開演後の入場は本来の席にはすぐに着けず、
演目の合間をぬって3階席などの目立たぬ専用の席に案内されるのだ。
結局1部のくるみ割り人形はそこから観劇する事になった。
 
天井桟敷のような席で興味深くはあったが、やはりジュテの高さも分からずダイナミックさには欠ける。
それでも「お菓子の国」の鮮やかな衣装の全体を良く見る事も出来、これはこれで良かった。
 
幕間には本来の席に移動できたので、白鳥の湖は中央の良い席で観覧。
横に張り出した短いスカートの白いクラシック・チュチュの衣装、
そして知らぬものなどいないあの「白鳥のテーマ」のドラマチックな旋律。
まさしくこれこそバレエそのものと言えるだろう。
 
4羽の白鳥の踊りとして知られる、日本の若いダンサーによるアレグロ・モデラートなどを挟み、
観客の多くのお目当てであるスター、エレーナ・フィリピエワのオデットを堪能した。
グラン・アダージョでのピルエットからのアラベスクはさすがの安定感で美しい。
彼女の得意とするパドブレは、さざ波が滑らかに流れて行くような、重力を感じさせない軽やかさで、
技術と表現力がここまで高いレベルで融合して初めて芸術家と名乗れるのかもしれない。
日本人のダンサーはもちろん、キエフの売り出し中の若手とも一線を画していた。
 
彼らの公演では定番のウクライナの伝統舞踊ゴパックでフィナーレ、終演となった。
ステージの出来は劇場から出てくる観客の表情で分かるものだ。皆微笑み満足そうであった。
 
読み終わったあと読者が微妙な表情とウワサの当ブログとはえらい違いなのはいうまでもない。
 

来年こそ、長くなりすぎたアレを切る。2012/12/30

来年こそ、長くなりすぎたアレを切る。
最近爪が伸びるのが早くなったような気がする。
手の爪はともかく、
昔は足の爪などそう頻繁に切らなかったように思うが、
すぐに靴下の破れを心配せねばならぬほどである。
 
師走で時が立つのが早く感じられるからではあるまい。
もちろんメカニズムは分からないし、
一般的な現象かどうかも分からないのだが、
やはり加齢の所為であろうことは想像に難くない。
 
古い話で恐縮だが、
昔、井上陽水の曲で「たいくつ」というのがあった。
その歌詞の冒頭が「♫爪が伸びている」だった。
この曲はその他にも
「♫蟻が死んでいる 角砂糖のそばで」
などという歌詞もあり、
当時の他のフォーク・ニューミュージックのアーティストからあげつらわれて馬鹿にされていた。
その頃多かった四畳半フォークなどといわれた私小説的な歌からすると、
この歌詞を言葉通りだけを捕らえて、実につまらない無意味なモチーフにしか映らなかったのであろう。
 
陽水の歌詞は独特で、「傘がない」も、
傘がないのに雨が降ってるけど恋人に会いに行かなくちゃというだけの歌詞なのだが、
批評家に「現代(当時)の若者の心理を見事に表現している」と絶賛されたためか、
他のアーティストによって馬鹿にされる事は少なかった。
 
件の「たいくつ」の歌詞は「♫帰りたい気もする ふるさとは遠い」で結ぶ。
つまりここにいたる微妙な心理の推移を描写するための、爪や角砂糖や蟻だったのである。
美辞麗句やストレートな物言いではなく、こういうのが真に詩的な表現だと思うが如何だろう。
 
むろん、当時20代だった彼の爪が伸びたのは私のように加齢の所為ではない。
無精によるものだろうが、その無精さ加減を暗示する事も心理描写になっているのだ。
 
ここに書く私の文章は暗喩も比喩もない、ただの老化報告なところが情けない。
近頃は長い眉毛も生え始め、耳毛などという恐ろしいものも生えてきた。
長い眉毛は家族が顔を覗き込み「余計なものが」などと呟きながら切ってくれたりするし、
耳毛もその都度抜いているのだが、少し無精すれば悲惨な事になることは間違いない。
村山富市と川内康範のコラボレーションという、ありがたくない事になりかねないのだ。
 
いかに大作詞家といえど、これをモチーフには出来ぬだろう。
「♫耳毛が伸びている 右耳が特に」・・・・・・申し訳ございませんでした。
 
またもろくに更新出来なかったブログだが、今年はこれが最後の更新である。
皆様良いお年をお迎えください。
 

May the Force be with you.2012/10/31

May the Force be with you.
先月に引き続き、
またまた健康に関することでも書こうと
何気なくニュースを眺めていると、
ディズニーがルーカスフィルムを買収とか。
 
本来9部作と言われていたスターウォーズの
エピソード7以降が映画化されるらしい。
 
以前ジョージ・ルーカスは
7以降のシリーズは作らないと発言していたし、
もともと構想のあったストーリーアイデアは、
すでに1~3の中に吸収されたとの噂もある。
 
またその後に色々な作者によって生み出された
スピンオフ作品などがありややこしい。
世界中にコアなファンが存在し、サーガともいわれる作品の続編となれば、いろいろ論議を呼ぶだろう。
 
しかし私は新しい作品が生み出されるのなら、単純に楽しみである。
年がバレてしまうが、最初の作品エピソード4が日本で公開された時、
親戚の女の子と劇場に観に行った思い出が、セピア色に浮かび上がってくるのだ。
この、親戚の女の子と行ったというあたり、全然色気のないしょぼいエピソード1なのだが、
映画自体は当時の映像技術を遥かに凌駕したエキサイティングな作品として、強烈な印象を受けたものだ。
 
今となっては初期の作品の特殊効果もやや陳腐なものになってしまい、
後に製作されたエピソード1〜3の宇宙船のシステムの方が、
時代的に後の4〜6のものより遥かに優れているという矛盾もあるが、まあこれはご愛嬌。
 
当時、ミレニアム・ファルコン号が光速に突入する時のエフェクトに
テンションが上がったのは私だけではあるまい。
 
現実的には光速に近い速度で移動しようとすれば、星はあのように後方に軌跡を残しながら過ぎ去らない。
むしろ降雨現象により、前方に集束するように集まり、ドップラー効果で虹色に輝くはずである。
ま、そんな事を言い出すのは野暮というものだな。
 
新作が公開されれば、映画館に足を運ぶことになるだろう。また一つセピア色の思い出が増える訳だ。
私の座骨神経が上映時間に耐えられればの話だが。…おっと、またしてもジジ臭い話になってしまった。
 
フォースと共にあらんことを。
 

怨霊となって蘇るほど恨みはない。2012/03/25

怨霊となって蘇るほど恨みは深くない。
少し前だが、珍しく歌舞伎を観に行った。
中村吉右衛門の「俊寛」である。
 
懇意にしている取引先の営業の人が
チケットが手に入ったからと誘われたのだ。
しかも前から5列目の真ん中あたりの良い席で、
久しぶりに生の芝居を堪能した。
 
さすがに吉右衛門の俊寛は素晴らしく、
最後の最後まで、まさに円熟の至芸であろう。
歌六の瀬尾も芝居っ気たっぷりで楽しめた。
 
又五郎と歌昇の襲名披露に続いて上演された
「船弁慶」もなかなか。
テレビなどで観れば、知盛の霊が出るまでは
眠くなってしまうところだが、
キレのある囃子も含め、生の舞台の迫力の前では寝るどころではない。
 
と、まあ、楽しい観劇であった。
 
…あの女さえいなければ。
 
その女は幕が開いてからやってきて、我々の前でウロウロした挙句、私のその連れの隣に座った。
葬式帰りのような全身黒づくめで、どうやら40代のよう。
 
身を乗り出すようにしてすぐ芝居に集中し始めたので、熱心なファンくらいに思っていた。
しかしどうもおかしい。「えらい!」とか「しっかりせえ!」とか妙な声をかける。
確かに芝居の内容には沿っているのだが、歌舞伎のかけ声というのはそういうものではない。
歌舞伎は芝居というよりは、芝居っぷりを観るといってもいいのである。
だからこそよく心得た観客が見せ場で「播磨屋!」などと屋号で声をかけるのだ。
 
廻りの観客も少しざわめきだして、チラチラ女の方をうかがい始めた。
我々は連れだと思われはしないかヒヤヒヤしていたのだが、どうやらかなり酔っぱらっているようで、
変に窘めると、予想外の反応をしてヘタをすれば芝居を止めてしまう可能性もあったでのある。
 
休憩時に女に話しかけられた連れは、普段の営業の経験から40代の女性の扱いに自信を持っていたようで、
その行動を制御しようとしたのか、丁寧に応対し始めたのである。
たちの悪い酔っぱらいの女はますます調子に乗って、
差別発言やこういった席には多い上流への批判など、あたりに聞こえるのも構わず言いたい放題で、
解説のレシーバーなど邪道だと、前の席の客をハゲオヤジ呼ばわりとビール片手に暴走の限り。
 
結局、前列の客たちの通報で、船弁慶の前に係員に連れ出されたのであるが、後味は悪かった。
私には営業の経験はほとんどないが、若い時の飲み歩きで酔っぱらいの対応は心得ている。
変に応対して話し相手になると思われたら、とことん絡まれるのである。
拍子抜けさせるようにスカして、こちらへの興味を失わせるのが一番である。
飲む席で全員がこれをやるといずれキレられるかも知れぬが、観劇とその休憩程度なら大丈夫だろう。
 
ただ暴走したからこそ途中でつまみ出される事になったので、まわりの観客同様、
おそらく変なかけ声が聞こえていたであろう、吉右衛門や他の役者はホッとしたのではないか。
 
しかし何が腹が立つといって、その女、連れとの会話で私と親子か?と言っていた事である。
いくら普段から加齢を嘆いているといっても、年下とはいえ不惑を過ぎた男と親子とは。
もっとも病院で母と夫婦に間違えられた兄ほどのショックは無いがね。
 
<< 2013/12 >>
01 02 03 04 05 06 07
08 09 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

このブログについて

ノープラン、ノーコンセプトで綴る、
モノクローム・モノローグ。

最近のトラックバック

RSS