たくましい商魂が私にもあれば今頃は…。2009/10/31

たくましい商魂が私にもあれば今頃は…。
ハロウィンというイベントが
いつ頃日本に入ってきたか知らないが、
微妙な感じでうすーく定着して久しい。
 
確かに目鼻をくりぬいたカボチャのアイテムは、
店舗のディスプレイや、
印刷物のデザインエレメントには使いやすい。
 
この季節を表現する為の素材としては、
以前より紅葉などが定番であるのだが、
それだと和風に傾斜し過ぎで、
洋風のものが欲しかったところに
おあつらえ向きではあったのだろう。
 
行事としてはそっくり定着したとはお世辞にも言えず、
デザインアイテムとして雰囲気作りに使われる程度で、
アメリカなどでは行われる、子供たちが仮装してお菓子をもらいに家々をまわると言ったような事は、
当然のことながら全く定着せず、一部の若者の間でささやかにパーティが行われる程度であろう。
 
そう言えば私が子供の頃、
お盆に地区の初盆を迎えた家々に御仏前の不祝儀を持って回り、かわりにお菓子を貰ったものだった。
普段は好き放題にお菓子が貰えた訳でもなかったので、結構それなりに嬉しかった。
 
もともとハロウィンはカトリックと収穫祭とが結びついた行事だった為もあるが、
最初から商業主義の匂いがする事もあってか、定着は難しかったと思われる。
また正直「かぶれている」臭もあったのではないか。
 
今日、以前にも書いた広々とした芝生公園に行ったのだが、
そこで自分の子にネコバスの着ぐるみを着せ、またご丁寧に仮面までつけさせた母親を見た。
この時期には珍しくかなり気温が上がり,暑いぐらいであったにも関わらず着ぐるみとはね。
まさに「かぶれている」という言葉が自然とわき上がって来たとしても不自然ではあるまい。
 
帰りにカメラバッグを見に行った電気店では店内アナウンスで、
「さあ、今日は待ちに待ったハロウィン!」などと連呼していた。
 
「誰が待ちに待ってたんだよ」
「だいたいカボチャと言えば冬至だろうが」などと呟いていた私は昭和の男ですか?
 

気がつけばブログを更新しない自分がいました。2009/05/18

気がつけばブログを更新しない自分がいました。
先日、新聞を読んでいたら、
確か女性の詩人の方のコラムがあって、
最近よく耳にする、
「気がつけば○○している自分がいました」
という表現について書いていた。
 
これは自身の行動や思考を肯定的に捉えた上で、
あたかも高次元にいる別人格の仕業のような表現だと
指摘していた。
肯定的に言いながら、責任は曖昧にしていると。
 
もし悪い事、例えば、
「気がつけば電車の中で女性のスカートの中に
手を入れている自分がいました」
などと言えばどうだろう。
この表現がいかに怪しいか分かるのではないか、といった趣旨であった。
私も最近この表現が気になっていたので、内容に少なからず共感したのである。
 
それ以外にも最近耳につくのが、これは表現というよりは定型文になってしまっているもので、
主にスポーツ選手のコメントで使われる事が多いのだが、
「頑張りますので、応援のほどよろしくお願いします」というやつ。
 
確かに、誰もが気の利いたコメントができる訳ではないので、
それなりに無難にまとめるには便利で都合が良いのかも知れん。
しかしあまりに個性が無さ過ぎる。
これでは記者なりインタビュアーなりが、後で適当に作文しても一緒ではないか。
 
もっとも、日本のインタビュアーは予定調和のコメントを期待するような質問ばかりだから、
これで良いのかも知れぬが、某メジャーリーガーあたりにはとことん嫌われる事だろう。
 
一方、気の利いた事を言ってウケを狙おうと、ひねたコメントばかりを連発し、
メディアが持ち上げるものだから、調子に乗っているとしか思えない男もいる。
 
とはいえ私も気の利いた事が書ける訳でもなし、
人のことを言えた義理ではないのであるが、それを言っちゃーお終いだろう。
 
と、気がつけばどうでもいい文章をブログに上げている自分がいました。
 

桜の木の下にはアレが埋まっている。2009/04/06

桜の木の下にはアレが埋まっている。
あと何回桜を観る事ができるだろう。
などと特に思っていた訳ではないが、
ここ数年、
積極的に花見に行く回数が増えた気がする。
まさか、死期が近づいているんではないだろうな。
 
しかし花見の宴席などを見かけると、
誰も花など見ておらず、
酒や食べ物、ばか騒ぎに夢中である。
 
古来、桜は枯れ木にいきなり花が咲くので、
なにかしら強い霊力が宿っていると考えられてきた。
その下に集い酒を酌み交わすのは分からぬでも無い。
 
花より団子などとも言う。
が、それにしても実際の宴席には、風流さは微塵も感じられない。
まあ、人間の感性は十人十色ではあるのだから、皆が同じ感覚で桜を見ているとは限らない。
 
ただ、昨日行った桜の名所になっている神社の境内の屋台で、嫌な行為を目撃したのだ。
鳥居をくぐって最初の屋台の、おそらくアルバイトと思われる若い店員が、
店で出た廃油を近くの排水口に流していたのだ。そのまま川に流れ込むだろうところにである。
 
彼は言われたままにやっただけなのだろうが、到着早々気分が悪かった。
神聖な神社で、しかも美しいものを愛でようという時に、あるまじき行為である。
おそらく、その屋台の店主にとって、神聖なものも美しいものも無価値で、
大事な事は唯一、金儲けだけなのだろう。
 
時代は違っても、この季節に各地の名所に花見に訪れる人が絶える事はない。
表向きはいつの時代も変わらぬ、春を代表する麗しい風物詩であるが、
訪れる人の心の中は、いつの間にか変質し、大事な何かを失ってはいないだろうか。
 
桜の木の下に本当に屍体が埋まっているかどうかはともかく、
生ゴミは埋まってそうではある。
真っ昼間から泥酔して転がっている輩なら何体も見たが、あれを屍体と言えばそうかも知れない。
 
本当に埋まっているのは、死んでしまった「日本人の心」なのではないか。
 
お、なんか、新聞の一面のコラムみたいなうまい事を書いたんじゃないか?
…と、ムリヤリ落とそうとする私が、一番心を失っている事に今気がついた。
 

阪神残念セールを高島屋でやるってことですか。2008/10/11

阪神残念セールを高島屋でやるってことですか。
世間では世界恐慌だのと、
首筋の寒くなる話題で持ち切りである。
 
いつも思うのだが、何だってマスコミは、
景気の悪い話が好きなのだろうか。
いつも不安を煽るようなことばかり言う。
ちょっとは景気のいい話をすれば、
株もそんなに売られずにすむのではないか。
 
以前は私のようなものの所にも、
どこで電話番号を調べたんだか、
株やりませんか、先物取引はどうですか、
などと勧誘が来たものである。
 
それらは片っ端から断ることにしていたのだが、
そもそも、そんなに儲かる話なら、人に教えずに自分でこっそり取引すればよいではないか。
ここで以前話題に出た筒井康隆氏だったと思うが、
昔、そのような電話に「そんなオイシい話は人に教えちゃダ、メ、」とかいって撃退したらしい。
おそらく今なら、このような客の応対もマニュアルに入っているのだろう。
 
もちろん、自分の買った銘柄を人にも値が上がるからと買わせて、
本当に値を上げさせておいて、自分はさっさと売るという手法なのかもしれん。
合法かどうかは知らん。
 
単純に売り買いの手数料を取るだけなら、博打の胴元と同じなので、
普通にやれば、客が勝とうが負けようが、絶対に手堅く儲かるはずである。破綻させちゃまずいだろう。
 
無論事態はもっと複雑で、上記のような単純な構図ではない。
しかし実体経済が、疑心暗鬼で大きく行動を変える投資家によって左右されるのはいかがなものだろう。
 
と、まあ、柄にも無い話題で恐縮だが、我々の仕事にとっても無関係ではない。
外国の金融政策の失敗によって、過敏に反応した景気の冷え込みが大きく影響しかねないのだ。
 
ところで、今回の株暴落のかなり前から、株や先物の取引の誘いが無い。
さては私の懐具合が寂しいのがバレてきたか。
 

バナナはおやつに入りますか。2008/10/03

バナナはおやつに入りますか。
9月下旬の雨続きから変わって、
なかなか良い気候になってきた。
運動会にかり出されるお父さんも多いことだろう。
 
小学校のカーブのきついコーナーでは、
是非とも腕をぐるぐる回して欲しいのものだ。
私は一度もやったことは無いのだが、
どうやらバランスをとろうと自然に出るらしい。
しかしあの光景こそ、
「ザ・運動会」という感じではないか。
 
しかし、気をつけなければ危険が待ち受けている。
当然のことながら、若い時とは違うのだ。
コーナーで足がもつれて転んで擦りむくぐらいなら、
まだご愛嬌で済むが、
日頃の不摂生と運動不足が祟って、もっと深刻なケガをしかねない。
 
子どもや孫の前でいいところを見せようと、張り切りすぎるのも考えものだ。気持ちは分かるが。
特に、若い時に部活などでスポーツをやっていた人が危ない。
強い自信と裏腹に自分が思うようには、体がついて来ないという事はままあるからである。
 
ところで、最近の運動会では、順位とかつけるのだろうか。
妙な平等主義やビリの子がかわいそうなどの理由で、順位をつけないことがあったようだが、
馬鹿馬鹿しい話だ。勉強では点数、通信簿の評価、順位などつけるからである。
勉強は今イチだが運動なら得意という子は、能力をアピールできないではないか。
そもそも順位をつけないのに、一生懸命走れという方が無理だろう。
 
それで思い出したが、高校の頃、全員参加の校内マラソン大会というものがあったのだが、
前年に別の高校で事故があったのにビビった校長が、
その年、マラソン大会を中止して競歩大会に代えてしまったことがあった。
しかも順位もつけないのである。
 
これはもう、噴飯ものである。
見慣れた道を数kmほど、みんなでだらだら歩くのだ。
それならいっそ弁当とおやつを持たせて遠足にしてくれ。
世の中にこれほど無意味なイベントは無かろうと当時思ったものだ。
 
運動部だった私や友達は、我慢しきれずに途中から走ることにした。
それを大会の監督をしていた私たちの部の顧問がバイクで抜きさりながら、
「走るなよ」と声をかけてきた。もちろん苦笑いしながら。
 
モンスターペアレントが蔓延っている昨今では、学校も大変だろうと思う。
みんな仲良し徒競走やフォークダンスなどのぬるい運動会で、果たして思い出になるのだろうか。
せいぜい親のビデオカメラの性能を「競う」大会なのではないか。
 
……ありがちなオチですまぬ。
 
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