タバコ・シンジケートが暗躍する近未来。2008/06/14

タバコ・シンジケートが暗躍する近未来。
この街でもいよいよ路上喫煙が禁止になった。
指定区域で喫煙すれば罰金1,000円である。
これが高いか安いかはともかく、
路上や公共の場は全て禁煙でも良いのではないか?
 
実は私も6年ほど前までは、
1日1箱の平均的なスモーカーだったのだ。
その年の誕生日を機に完全にやめたのだが、
まわりから嫌な顔でみられた。
何しろ私が手のひらを返したように、
タバコの煙を嫌がりだしたからだ。
喫煙の誘惑を懸念したからではなく、
本当にタバコの煙が嫌なものになったのである。
 
そういう時期に来ていたのか、
身体の中で瞬時に切り替えが行われたのか分からぬが、それから一切吸いたいと思ったことはない。
 
だからあの手この手で禁煙を試みては失敗している人が分からない。
「やめる」と決めれば良いだけではないか?
「やめたい」とだけ思って禁煙を始めるからダメなのだ。決めさえすれば簡単にやめられる。
新しく何かを始める、例えば毎朝のジョギングとか、そういったものは継続するのが難しいかもしれない。
しかし、「やって」いたことを「やめる」のだから簡単ではないか。
これは意志の強い弱いの問題でもない気がする。意識の持ち様なのではないかと思う。
 
タバコ1箱1,000円にする案も検討されているという。
税収が増えることでもあるし、是非やってもらいたい。
タバコをやめたり、減らしたりする人を増やすことができるだろう。
喫煙者や受動喫煙者の健康問題だけではない。
タバコの吸い過ぎで、タバコを吸っていない時でも上半身に染み付いたタバコの匂いと、
加齢臭が入り交じって、う○この臭いみたいになっている人もいるようである。(失礼!)
ただし、禁煙法は施行するわけにはいかないのは言うまでもない。
闇社会に「タバコ・シンジケート」を構成しかねないからだ。
 
タバコをやめて関係する道具は全て処分したのだが、
Peaceのロゴ入りZIPPOのライターだけは残している。
これは父にまつわる思い出の品だからなのだが、このことについて書く機会があるかどうか。
 
タバコをやめて2年経つと、真っ黒だった肺がきれいになるという説がある。
私の肺がきれいになったかどうか分からないが、確実にモテるようになった。
気のせいか。

珍しき事を求め、異説を好むは、浅才の人の必ずある事なりとぞ。2008/06/11

珍しき事を求め、異説を好むは、浅才の人の必ずある事なりとぞ。
よく新聞の主に地域欄などに、
我が子を写真入りで紹介するコーナーとかがある。
それらを見ると、その名前の凄いこと。
 
最近の流行なのだろうが、
いくら願いを込めると言っても、
名前負け確定!みたいなものや、
どこの国の人?と思うものやら、夜露死苦系やら、
全く判読不能のものまで、
いったいどうなっているのやら。
 
頭をひねって個性的な名前を、
と思って付けているんだとは思うが、
逆に頭が悪く思えてしまうのは私だけだろうか?
 
なかでもどうかと思うのは、英語風の名前に無理に漢字を当てはめているもの。
どこかの名付けサイトや赤ちゃん雑誌も悪いのだが、国際的というのを完全に勘違いしているのだ。
例え英語で聞いた時にその響きが「英語的」に妙なものだったとしても構わんではないか。
あのカブスの福留の例を出すまでもなく、全く取るに足らないことだと思う。
英語風の名前を付けている日本人を見る英語圏の人は、
いぶかしげな目で見ることはあっても、国際的だとは絶対に思わないだろう。
 
もっとも、変わった名前、個性的にと付けた名前は昔からあって、
あの吉田兼好も「人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益なき事なり。」と嘆いているほどである。
しかし最近、ちと度が過ぎやしないかと、子供紹介の記事を読む度に考えてしまう。
むしろそんな名前でないと、友達の間で浮いてしまいそうな感じさえある。
 
こういった名前をあげつらって非難しているサイトなどもあるようだ。
名付けの際にはくれぐれも注意して欲しいものである。
 
ここまでくると、当然私の命名法はどうなんだ?という話になってくる。
もちろんここまで言うからには私も考えていますよ。
伝統的な名前をふまえつつ、現代の子どもたちの中にあっても馴染み、書きやすく、読みやすい、
性別を間違われることもなく、名前負けすることなく、なおかつユニークな名前を、
誰か教えて。

燃やせ、青春。燃やすな、わが街。2008/06/09

燃やせ、青春。燃やすな、わが街。
もう十年以上も前のことだが、
どこかの街で見つけた防火啓蒙の看板で、
バルセロナオリンピックの選手の似顔絵とともに、
タイトルの標語が書いてあった。
思わず失笑してしまったのは言うまでもない。
 
確かに彼らは燃えるような青春を送っていたであろう。
しかしいくら当時の人気者にあやかろうと言っても、
防火の啓蒙と抱き合わせてやるのはどうか。
 
そもそもこういった標語は七五調が多いのだが、
その節(ふし)にのせるのは百歩譲るとして、
無理に「うまいこと」を言わなくても良いだろう。
第一、自分の街を燃やしたくないのは、
当たり前すぎて言うまでもないし、
そんな分かりきった事ではなく、もっと具体的に日常忘れがちな事、
例えばタバコの火の始末をするとか、消火器の点検とか、防火用水のチェックとか、
そういう具体的な事を啓蒙しなければ意味がないのではないか。
放火防止の為なのであれば、これは放火の心理を読み違えているとしか言いようがない。
 
無論、何か人目を引かなければ見てくれないのだから、
突っ込みどころ満載でも、むしろその方が良いという考え方もある。
だとしても、いや、だとすればそれらを組み合わせた、もっと別な方法があるのではないか。
 
一般の広告のコピーは、例え人目を引くだけで謎めいていたとしても、
続く本文なり何なりで、具体的な情報を手に入れる事が出来るようになっているものだ。
むしろその本文への導入を、何としてもしたい為に作られている。
上記の防火啓蒙のような表現の標語は、今も多く行われているのではないかと思うが、
ほとんどが標語のみの言い切りで本文がないのである。というか標語のみが前提なのだ。
標語の為の標語、標語募集イベントの為の標語、と言われても仕方がないだろう。
 
もっとも、このブログのタイトルも毎回意味が有るんだか無いんだか。
「うまいこと」を言って締めくくろうとするだけで、
肝心の本文は具体的な情報は何一つないのはご承知の通り。
いや、別に突っ込み待ちという作戦じゃありませんよ。違います、違います。
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モノクローム・モノローグ。

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