時の流れは残酷であり、そして優しい。2009/07/21

時の流れは残酷であり、そして優しい。
さて、以前から記事にしていた、
高校の同窓会に出席して来たのである。
 
所在地のホテルの宴会場で行われた会は、
出席者総勢150人超と、予想以上の盛況だった。
 
我がクラスはもともと個性派ぞろいだったとはいえ、
出席者だけでも私の同業者をはじめ、陶芸家、
会社経営者、教師、郵便局長など
多彩な面々となって再会したのである。
 
クラスは別だが、同じクラブの連中とも久しぶりだ。
その関係の道に進んでいる者も多く、
母校のチームもいまだ強豪校であり続けているらしい。
 
一見しただけでは誰だか思い出せない人も、しばらく話していると顔の中心だけが見えて来て、
加齢や長い年月による変化などが取り払われ、昔と変わらないような気になるから不思議である。
 
とてもここには書けないような、当時の出来事の本当の顛末と真相があきらかになったり、
今だから話せるような話も聞けて、なかなか有意義であった。
2次会などを含めても、あれだけの時間ではとても話し足りなかった。
 
話をするのに夢中で、料理には殆ど手を付けられず、
酒は喋り続けて乾いたのどを潤すために飲んでいるようなもので、
純粋に宴席としては会費の元が取れたかどうか怪しい。
 
意外な事に私はほとんどの人に一目で分かってもらえたようだ。
もっとも私が若いのではなく、もともとが老けていただけのことかも知れない。
主に頭部の量に来ている人、頭部の色に来ている人、顔の年輪に来ている人、などなど。
時の流れの残酷さは確かに感じられるが、築き上げられた人格と人格のふれあいはとても優しい。
そして思い出も全てが熟成し、深く優しく、人生の結実のときを皆迎えようとしているかのようだった。
 
40kmの渋滞につかまったことや、風邪気味を押して出席したため、帰ってから寝込んだことなどは、
実に取るに足らない枝葉末節だと、そう思えるイベントであった。
 
公式には、次は10年後に同窓会を行うようなアナウンスに対し、
あちこちで、5年後いや毎年あってもいいといったような声が上がったが、
なに、これはその場の勢いでそう思うだけで、
しょっちゅう会えば新鮮味も薄れ、これほどの盛り上がりはないのではないかと思われる。
とはいえ、何人かの旧友たちは今後も連絡を取っていきたいところ。
 
え?美人の誉れ高かったあの娘はどうしたかって?
そんな人いましたっけ。
 

 
〈追記〉Linkに「知られざる思想家たち」を追加しました。
 

コメント

_ mitoma@asu ― 2009/07/28 12:55:52

同窓会の写真がサイトにアップされましたよ。
確かに不思議な感覚です。知らない人は単なるおっちゃんおばはんですが、
知人友人は18歳当時の彼彼女に戻ってしまいますね。

_ binsei ― 2009/07/29 10:37:15

こちらでは初めまして。

長い年月が経ったのが嘘のような、そんな感じですね。
いかに時間の経過があろうとも、人間の本質は変わらないというか、
相当早い段階から、全ての個性の原型が出来上がっているということですかね。

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