本当は言うほど大したことなかったんですよ。2008/08/29

本当は言うほど大したことなかったんですよ。
昨日、夏休みの宿題や工作のことを書いた。
それで思い出したのだが、
私は小学校の時、
絵を評価された事はほとんどなかった。
 
おそらくは、絵が子どもらしくないという事で、
評価が低かったのではないか。
もちろん、子どもらしくないと言っても、
別にエロい絵を描いていた訳ではない。
 
小学校の一年の春に描いたのは、
花見にいった時の絵で、
桜の並木が続く神社の参道を、
遠近法を使った、奥行きのある絵だった。
 
このくらいの年代の子どもの描く絵は、もっと平面的で、エレメントを並列的に並べ、
人物のプロポーションも、印象や思い込みに左右された、いわゆる子どもらしい物が普通なのだろう。
 
見た物をありのままに描く事は、常識に縛られた自由の無い発想の貧困な絵と思われていたようだ。
あるいは、大人に描いてもらった偽造絵画と見られ、一切評価されなかったのかもしれない。
 
私の絵が多少なりとも評価され始めたのは、中学生になってからである。
評価基準が色彩の自由さ、思い切りの良さなどから、写実の技術なども加味されるようになったからだろう。
それでも2年か3年の頃に描いたシュールな絵は、評価が低かった。
当時、シュールリアリズムのことなど全く知らなかったのだが、結果的にそんな絵になったのだ。
美術の教師の評価は低くなかったが、コンクールではさっぱりだった。
 
もっとも私の絵もそれほどうまいとは言えなかっただろう。
しかし、何か正当に評価されていないという感覚は後々まで残った。
まあ、学校美術というのはそんな物かもしれない。
美術的な評価はどうであれ、手間がかかっているというだけで、最上級の評価を受けたりするのだ。
 
アナログ時代には、多少イラストなども描いていたが、
最近では公開する作品としてはほとんど描いていない。
これは芸術とは趣を異にしている話だが、何も上記のような事を恐れている訳ではない。
誰が厳しいと言って、自分の目はごまかせない訳で、
ディレクターとしての自分自身が評価し、採用しないだけである。
 
あまり考えたくはないが、子どもの頃の評価は案外正しかったのかもしれない。
 
……。
 
<< 2008/08 >>
01 02
03 04 05 06 07 08 09
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

このブログについて

ノープラン、ノーコンセプトで綴る、
モノクローム・モノローグ。

最近のトラックバック

RSS