夏休みの宿題の工作で、一つも会心の物は無かった。 ― 2008/08/28
夏休みもあと僅か、もうすぐ新学期である。
近くの小学校にもまた、
子供達の声が響き渡る事であろう。
小学生の時、今頃夏休みの宿題の追込みだったなあ、
などと懐かしく思い出したりする。
40日間という十分な時間がありながら、
結局毎年のように最後の数日地獄を見る事になった。
なぜもっと早くやっておかないのか、
と言われながら、家族の助けも借りて、
何とか仕上げたものだった。
今思えば、その数日を夏休みの最初に持ってくれば、
日記などはともかく、楽な毎日が送れただろうに。
もちろんこれは後になって思う話で、その時は楽しい事を先にやってしまいがちだ。
時間が最初からあまり無いのならともかく、
子どもにとって40日間という日々は、現在の私の感覚でいえば1年ぐらいに相当する時間なのだ。
そりゃあ、いつでもできると思うだろうな。
しかし、現在でもこのクセは抜けきらぬようで、締切に追われる毎日である。
トータルで考えれば、納期はたいていは十分足りているはずなのだが、
前日に徹夜する事も最近でこそ少ないが、以前はよくあった。
さすがに近頃は情けないかな体力的な事もあり、なるべく徹夜などせぬように計画的に仕事をしている。
ただ私の仕事は、単にコツコツやるだけでは、なかなか良いものはできない。
もちろんそういった地味な作業はかなりの部分を占めるのだが、
開始から完成まで、一様な仕事のペースでは、何か物足りない。
メリハリというか、密度のばらつきが思いがけない発想のジャンプを生み、勢いがでてくる。
この辺りの感覚が好きで、この仕事をやっているようなものだ。
遊んでばかりいた小学校時代、夏休みの宿題が新学期に間に合わなかった事は一度も無かった。
結局、無意識のうちにギリギリ出来る時間を察知していたのかも知れなかった。
ここだけの話だが、その能力は、未だ健在のようである。
実はこのブログの毎日更新を、ギリギリ12時直前でクリアした事も1度や2度ではないのだ。
危ない危ない。
近くの小学校にもまた、
子供達の声が響き渡る事であろう。
小学生の時、今頃夏休みの宿題の追込みだったなあ、
などと懐かしく思い出したりする。
40日間という十分な時間がありながら、
結局毎年のように最後の数日地獄を見る事になった。
なぜもっと早くやっておかないのか、
と言われながら、家族の助けも借りて、
何とか仕上げたものだった。
今思えば、その数日を夏休みの最初に持ってくれば、
日記などはともかく、楽な毎日が送れただろうに。
もちろんこれは後になって思う話で、その時は楽しい事を先にやってしまいがちだ。
時間が最初からあまり無いのならともかく、
子どもにとって40日間という日々は、現在の私の感覚でいえば1年ぐらいに相当する時間なのだ。
そりゃあ、いつでもできると思うだろうな。
しかし、現在でもこのクセは抜けきらぬようで、締切に追われる毎日である。
トータルで考えれば、納期はたいていは十分足りているはずなのだが、
前日に徹夜する事も最近でこそ少ないが、以前はよくあった。
さすがに近頃は情けないかな体力的な事もあり、なるべく徹夜などせぬように計画的に仕事をしている。
ただ私の仕事は、単にコツコツやるだけでは、なかなか良いものはできない。
もちろんそういった地味な作業はかなりの部分を占めるのだが、
開始から完成まで、一様な仕事のペースでは、何か物足りない。
メリハリというか、密度のばらつきが思いがけない発想のジャンプを生み、勢いがでてくる。
この辺りの感覚が好きで、この仕事をやっているようなものだ。
遊んでばかりいた小学校時代、夏休みの宿題が新学期に間に合わなかった事は一度も無かった。
結局、無意識のうちにギリギリ出来る時間を察知していたのかも知れなかった。
ここだけの話だが、その能力は、未だ健在のようである。
実はこのブログの毎日更新を、ギリギリ12時直前でクリアした事も1度や2度ではないのだ。
危ない危ない。
最近じゃOCRに取り込まれた後、廃棄されてしまうかも。 ― 2008/08/26
名刺を替えようと思っている。
といっても、ロゴを変更したので、
それに付随して更新するだけである。
大幅な変更はせずに、
ホームページのイメージをそのままに、
例によって、7.5級(約4.3ポイント)の文字で、
住所などのデータも名前も記している。
そう凝ったものを作ってもしょうがない。
名刺を受け取る人も、
実はそれほど仔細には見ないものなのだ。
しかし世の中には、名刺の体裁を気にする人は多い。
そこまでこだわるか、と思うが、
この名刺こそが、絶対に譲れない個人のアイデンティティを表現する場所と考えているのだろう。
まあ、分からぬでもない。
おそらくは、渡した相手が気にしようがしまいが、本人が納得していないものは持ちたくないのだろう。
気に入った服をコーディネートする。好きな靴を履く。鞄を持つ。
そういったことと同じで、こだわりたい物の一つなんだろうと思う。
しかもこれはサイズ以外は完全に自由に作れるのだ。
服のオーダーメードなどといっても、デザインまで完全にオーダー出来る訳ではないが、
名刺ならば、それほど専門的な知識や技術、経験がなくとも、ある程度コントロール出来る。
無論、規模の大きな会社の名刺であれば、万人に受け入れられなければならないため、
いきおい無難な物にならざるを得ない。
そういった名刺を見る度に、実はこれでいいのではないかとも思う。
本来は名刺の体裁が重要なのではなくて、名前や肩書きなどを覚えてもらうのが目的なのだから。
私の名刺も、どんなに斬新な物を作ったところで、
それによって、美味しい仕事が舞い込んでくることはあるまい。
せいぜい飲みに行ってモテようとする時に役に立つか立たないか、といったところか。
もっとも、何年もそんな店に行ってないけどね。いやホント。
といっても、ロゴを変更したので、
それに付随して更新するだけである。
大幅な変更はせずに、
ホームページのイメージをそのままに、
例によって、7.5級(約4.3ポイント)の文字で、
住所などのデータも名前も記している。
そう凝ったものを作ってもしょうがない。
名刺を受け取る人も、
実はそれほど仔細には見ないものなのだ。
しかし世の中には、名刺の体裁を気にする人は多い。
そこまでこだわるか、と思うが、
この名刺こそが、絶対に譲れない個人のアイデンティティを表現する場所と考えているのだろう。
まあ、分からぬでもない。
おそらくは、渡した相手が気にしようがしまいが、本人が納得していないものは持ちたくないのだろう。
気に入った服をコーディネートする。好きな靴を履く。鞄を持つ。
そういったことと同じで、こだわりたい物の一つなんだろうと思う。
しかもこれはサイズ以外は完全に自由に作れるのだ。
服のオーダーメードなどといっても、デザインまで完全にオーダー出来る訳ではないが、
名刺ならば、それほど専門的な知識や技術、経験がなくとも、ある程度コントロール出来る。
無論、規模の大きな会社の名刺であれば、万人に受け入れられなければならないため、
いきおい無難な物にならざるを得ない。
そういった名刺を見る度に、実はこれでいいのではないかとも思う。
本来は名刺の体裁が重要なのではなくて、名前や肩書きなどを覚えてもらうのが目的なのだから。
私の名刺も、どんなに斬新な物を作ったところで、
それによって、美味しい仕事が舞い込んでくることはあるまい。
せいぜい飲みに行ってモテようとする時に役に立つか立たないか、といったところか。
もっとも、何年もそんな店に行ってないけどね。いやホント。

最近のコメント